JFL鈴鹿ポイントゲッターズのFWカズ(三浦知良、55)が15日、30年目を迎えたJリーグに熱いエールを送った。この日は1993年の同日、国立競技場で横浜マリノスとヴェルディ川崎が開幕戦を行った「Jリーグの日」。29年前のピッチに立ってJを引っ張ってきたカズは、ホームでホンダFCに1-4で大敗したJFLの試合後に30年目のシーズンを迎えるJリーグへの思いを口にした。

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「毎年、この時期になると聞かれますね」。カズは笑いながら言った。試合は実力の差が出て完敗。右太ももの筋肉が張り、前半で交代した。それでも「Jリーグの日」について聞かれると、口から言葉があふれた。

「J1からJ3まで58クラブ、ここまでJリーグが成長することは、30年前には想像もできなかった。世界的にも評価される成功です。一番大きな収穫は、Jリーグやサッカーが社会に認められたことですね」

ブラジルから帰国した90年、日本でのサッカーは「マイナー」だった。93年に10チームでスタートしたJリーグ。記念すべき開幕戦のピッチに立ったからこそ、想像を超える成長が分かる。

「これまで各地でプレーしてきたけれど、実感するのはJリーグが地域に定着しているということ。地域の人たちとの関わりは大事。町のチームの活躍が子どもたちの将来の夢になり、大人たちの次の日の活力になる。それがあるから、選手たちも頑張れるんです」

川崎から京都パープルサンガ(当時)、ヴィッセル神戸、横浜FCと渡り歩き、海外でのプレーも経験する中、地域密着の重要性を痛感する。神戸、横浜FC時代と小学校訪問も続ける。日本代表とは違うクラブの価値を知るからこそ、地元サポーターと交流し、子どもたちと触れ合う。

「Jリーグで素晴らしいのは、育成のシステムだと思います。アジアの中で突出しているからこそ、W杯にも7大会連続で出場できる。未来を作るのは若い世代だから、育成が大切なんです」

常に頭の中には、次世代のことがある。若い世代をリスペクトし、Jリーグの「育成」を高く評価した。その口から批判は出ない。課題を問われると、困った顔をした。

「僕は選手なので、選手の立場でしか見ることができない。それぞれクラブで課題や問題点はあるとは思う。そこは(この日来場した盟友の)北沢(豪)さんに聞いてください。日本協会の理事ですから(笑い)」

かつてはJリーグをけん引してきたが、今はJFLの一員としてJリーグを目指す立場。もちろん、以前とはJリーグを見る目も変わった。

「今はJリーグのファンです。DAZNにもお金払っています(笑い)。昨日も、J1とJ2は全試合見ました。90分はとても無理なので、ハイライトで(笑い)」

サッカーへの情熱と同じように、30年目を迎えるJリーグへの愛情も冷めていない。29年前の国立競技場でカズたちがまいた種が全国に広がり、クラブができた。マイナー競技だったサッカーが社会で認知された。カズはそんなJリーグが大好きなのだ。だからこそ、再びそのピッチに立つために、鈴鹿でも地域の人たちの声援を受けながらJFLのピッチを走り続ける。【荻島弘一】

〇…先制しながらの逆転負けに、鈴鹿の三浦泰年監督は「当たり前のことを徹底できる強さ。チーム力に差があった」と話した。鈴鹿は工場のある本田技研の「準ホーム」でもあり、多くの社員やサポーターも来場。「相手はモチベーションが高くて、集中していた」。カズも「ホンダはJFLの強豪だし、力の差があった」と完敗を認めていた。

〇…ホンダFCの安部裕之監督は「厳しい試合だったが、選手の意識がゴールに向いていた」と大勝を振り返った。J発足前は日本リーグの強豪。ホームを浦和で準備していたものの、J参加を断念。以後「プロを超えるアマチュア」としてJFL最多優勝9回。実力はJ2中位と言われる。カズ参戦について「JFLが注目されれば、ホンダの価値も上がる。Jに行くチームを倒し続けたい」と「JFLの門番」のプライドで話していた。

◆Jリーグ開幕戦 1993年5月15日、国立競技場でヴェルディ川崎(読売クラブ)と横浜マリノス(日産)が、開会セレモニーに続いて対戦した。チケットは抽選方式、NHKの視聴率は32・3%と国民的な関心事となった。試合は前半19分にFWマイヤーのゴールで川崎が先制したが、後半にMFエバートン、FWディアスのゴールで横浜が2-1と逆転勝ち。26歳だった川崎FW三浦知良(カズ)はフル出場。川崎DF加藤久、都並敏史、横浜MF木村和司、水沼貴史ら不遇の時代を支えてきたベテランは、涙で試合に臨んだ。