新潟産大は12日、サッカー部主将DF湯岑滉生(ゆみね・こうき、4年)のJ3FC岐阜への来季加入が内定したと発表した。同大からは初のJリーガー誕生。日本サッカー協会から、今季は大学に所属したままJリーグに出場できる特別指定選手にも認定された。空中戦と対人プレーに自信を持つ身長193センチの大型センターバック。チームとともにリーグカテゴリーを上げ、将来は日本を代表する選手に成り上がる。
必ずプロになる-。全国的にはまだ無名の新潟産大で、湯岑が夢をかなえた。
「プロ内定をいただけてうれしいが、ここがゴールじゃない。ようやくスタートラインに立てた。これまで関わってくれた方への感謝を忘れることなく、多くの人に名前を覚えてもらえる選手になりたい」
身長193センチのサイズを生かした打点の高いヘディングに加え、対人の強さとスピードが売りのセンターバック。加入先の岐阜には6月と8月に練習参加した。正式オファーに「迷いはなかった」と即決。同クラブには日本代表FW古橋亨悟(30、バーミンガム)がプロ1年目の17年から18年途中まで在籍し、J1ヴィッセル神戸を経由して海外に活躍の場を移した。「古橋選手のようになりたい。チームとともにJ2、J1と昇格し、日本を代表する選手に成り上がりたい」と将来のビジョンを描く。
今でこそ身のこなしがスムーズだが、中学の3年間で身長が173センチから一気に20センチ伸びた影響で「当時はスピードがなく細身で、身体操作がぎこちなかった」。背後を取られて失点することが多く、目立つような選手ではなかった。
親元を離れて進学した和歌山南陵高では1年からスタメンを張ったが、全国大会出場経験はなし。居残り練習はいつも1人だった。「とにかく走り、崖のようなところにボールを投げて跳ね返りをヘディングする練習をひたすらに。周囲からは『本当にプロを目指してるの? 』と失笑されるぐらいのレベルでした」。それでも勝利とプロ入りを諦めず、プレーの質向上と同時に週4、5のペースで野球部に交じって筋トレを継続した。「筋肉がついてスプリント力が伸びたし、体のぶつけ合いでも負けなくなった。野球部には今でも感謝しています」と笑う。
高校卒業後は大阪の大学に進学する予定だったが、「監督の熱量と練習参加で決めた」と、当時、北信越大学リーグ1部と2部を行き来していた新潟産大に進んだ。「勝利に導ける選手になりたかったし、何より監督の指導を受けたかった」。指導する岡村宜城監督(48)はJ1ガンバ大阪などでプレーした元Jリーガー。守備力を磨きながら、トラップの置き所やパスをさし込む位置など攻撃面の力を伸ばした。「ここに来てプロを目指したいと、より強く思えるようになった」。指導レベルの高さに感謝する。
新潟産大の練習は早朝の約2時間。その後は授業に出席し、それぞれがアルバイトへ向かう。「実は入学初日の練習で寝坊してしまって…。それ以降は1度も失敗していません(笑い)」。1年からDFラインを支えて2部優勝。翌年からは1部で戦い、昨年度は創部初のインカレ出場を果たした。「熱い指導者がいて、仲間がいる。自分の選択は間違っていなかった」と大きくうなずく。
新潟で夢をかなえ、26-27シーズンからプロの世界に飛び込む。「もうお客様ではない。1年目からといわず(特別指定選手の)今季から勝利に貢献したい」。マッチアップを熱望するのは、新潟医療福祉大出身のJ1浦和レッズFW小森飛絢(25)。「リーグ戦(北信越大学1部)でボコボコにやられた。今までで1番の選手。成長し、いつか対戦したい」。同じピッチに立てるよう、才能を研ぎ澄ませていく。【小林忠】
◆湯岑滉生(ゆみね・こうき)2004年(平16)3月12日生まれ、大阪府出身。本格的に競技を始めた清江小4年から真住中では住吉大社サッカークラブに所属。和歌山南陵高では1年時の選手権県大会準優勝が最高成績。新潟産大では1年から主力。22年度、24年度デンソーカップチャレンジ北信越選抜。193センチ、89キロ。利き足は右。
○…岡村監督が新潟産大の監督に就任した14年は部員7人のスタート。人数が足りず、バスケ部や卓球部の選手に頼み込んで試合だけ出場してもらった。月日が流れ、初のJリーガー誕生。「素直にうれしい。ポテンシャルは確実にある。プロで生き残る競争はもう始まっている。頑張って欲しい」と話した。
○…湯岑が大学1年からアルバイトを続ける「炭火焼鳥 備長」のオーナー猪俣豊さん(62)と由美子夫人(62)は、「孫たちもサッカーをしているので喜んでいる。滉生の試合を見る機会が増える」と声をそろえる。高身長でイケメン。「モテる。かなり。滉生を目当てで来店する女性もいる」と由美子夫人。平日も超満員の人気店。「接客が丁寧で、バイトリーダーとしてみんなをまとめてくれる。まかないを大量に食べる子(笑い)。プロに行ってもサッカーを楽しんで欲しい」。2人は笑顔でエールを送った。



