韓国の“バットマン”が、ミラクル16強をこじ開けた。韓国は1-1の後半ロスタイムに、黒色のフェースガード姿のFW孫興民(30=トットナム)が自陣からドリブルで駆け上がり、絶妙なスルーパス。勝ち越し弾を好アシストした。ウルグアイと勝ち点4で並んだが、総得点差で3大会ぶりの1次リーグ突破を果たした。オーストラリア、日本に続く突破となり、W杯史上初めて、アジアから3チームが決勝トーナメントに進出することとなった。

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自分だけの道が見えていた。勝利が絶対条件の中、1-1で迎えた後半ロスタイム。孫はためらうことなく走りだした。ドリブルでゴール前へ駆け上がり、相手を引き寄せた。隙が生まれた瞬間、FW黄喜燦へ的確なスルーパスを送り、決勝弾をアシストした。試合後は黒のフェースガードをピッチに置き、崩れるように涙した。「選手たちが最後まで諦めずによく走った」。仲間の粘りをたたえ、そっと喜びをかみしめた。

自分だけの道を歩んできた。Kリーグ選手だった父のもと、英才教育を受けた。小中学校時代は部活動に所属せず、父とボール技術の練習に励んだ。高校時代にドイツでプレー。17歳だった10年1月にハンブルガーSVへ正式移籍し、欧州で研さんを重ねた。21-22年シーズンは、プレミアリーグでアジア人初の得点王。母国ではスーパースターで、知らぬ人はいない。

順風満帆ともいえるサッカー人生だが、3度目のW杯は苦難が続いた。11月1日の欧州チャンピオンズリーグ(CL)で左目付近を骨折。それでも気持ちは折れなかった。今大会は“バットマン”姿での出場を余儀なくされた。勝ち点1で迎えた1次リーグ第2戦ガーナ戦は2-3で敗北し、試合終了直後に猛抗議したパウロ・ベント監督はレッドカード。勝つしかない第3戦は指揮官不在の危機に陥った。2戦連続で不発に終わり、悔し涙を流しながら「最後まで諦めずに準備する」と誓った。

そこから中3日。敗退が刻々と近づく中、50メートルほどをドリブルで突き進み、奇跡のゴールを生み出した。異国で培った精神力が土壇場で母国の危機を救った。「最大の目標だった16強入りを果たせた。ここからはどうなるか誰にも分からない。ベストを尽くすだけです」。自身初の決勝トーナメントでは強豪ブラジルが待ち構える。押しも押されもせぬ韓国のエース。屈強な心で、自分だけの道を突き進む。

 

◆孫興民(ソン・フンミン)1992年7月8日、韓国春川市生まれ。10年から韓国代表に選出され、18年に主将。08年にFCソウル・ユースからハンブルク・ユースに加入し、09年ハンブルク2軍、10年から同クラブのトップ契約。13年にレーバークーゼンに移籍し、15年からトットナムと契約。21-22年シーズンにはアジア人として初の得点王。W杯は3大会連続3度目の出場で、過去2大会で3得点。183センチ、77キロ。

◆欧州で活躍した韓国人選手 1979年にフランクフルト入りしたFW車範根が草分け。ブンデスリーガ11シーズンで308試合98得点。同リーグのアジア人最多得点記録を持つ。朴智星は03年にJリーグの京都からPSVに移籍。05年に移籍したマンチェスターUでは、アジア人初の欧州CL優勝などFW、MFとして活躍した。「アジアの虎」と恐れられた先人たちにならい、孫も欧州でその才能を開花させた。