来年1月2、3日の第96回東京箱根間往復大学駅伝が迫ってきた。今や国民的行事となった箱根駅伝は、日本人初のオリンピック(五輪)選手でもある金栗四三が、五輪選手育成も視野に創設した。20年東京五輪を見据え、日刊スポーツでは「箱根から五輪へ」と題し、5回連載する。第1回は駒大OBで、今年9月のマラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)を制し、東京五輪男子マラソン代表に決まった中村匠吾(27=富士通)が思う箱根駅伝とは?【取材・構成=上田悠太】

世界に挑む壁、超えなくてはならない到達点を最初に意識したのは箱根駅伝だった。中村の箱根デビューは2年生だった13年。「力は発揮できた」と結果は3区区間3位。タイムは1時間5分55秒。それでも当時から日本長距離界の未来を渇望された区間賞の設楽悠太(東洋大3年)、区間2位の大迫傑(早大3年)とは1分以上の差があった。

「上には強い先輩たちがいて、まだまだ自分の実力が足りないと感じた。いつか追いつきたいという気持ちを持ってやれたことが、少しずつ伸びてきた要因なのかなと思う」

あれから6年。MGCでは、ともに大学卒業後にマラソン日本記録を樹立した大迫、設楽を退けた。五輪の切符を手にした。

駒大に進む前から、正月は箱根駅伝のテレビ観戦が恒例。三重・上野工高(現伊賀白鳳高)の先輩も多く活躍し、自然と憧れた。「箱根に出場をしたい」との思いを胸に秘め、練習した。高3の高校総体5000メートルでは3位。箱根への思いは成長の原動力にもなっていた。

長い歴史を重ね、箱根駅伝は国民的コンテンツに発展し、視聴率は30%を超える。学生スポーツでは類を見ない注目度、独特の空気感の中で平常心を保ち、戦い抜くメンタルを要求される。中村は言う。「注目されている中、自分の力を発揮するのは大学時代から培われているのかな」。4区を除き、区間距離は20キロを超える。「今思えば、1キロを3分切るペースで走るベース、20キロをしっかり走りきれることはマラソンにつながっている」。その経験は、着実に今の糧になっている。

◆中村匠吾(なかむら・しょうご)1992年(平4)9月16日、三重県四日市市生まれ。箱根駅伝では2年時から順に、3区区間3位、1区区間2位、1区区間賞。15年4月に富士通に入社し、初マラソンだった18年びわ湖毎日では日本人トップの7位、18年ベルリンでは2時間8分16秒の自己記録。好きな食べ物は焼き肉、すし。173センチ、55キロ。