東京五輪代表補欠の松田瑞生(25=ダイハツ)が、復活の初出場初優勝を飾った。23キロ過ぎから独走となり、自己ベストに4秒迫る2時間21分51秒を記録。1年前の五輪代表落ちで流した涙から、再出発した。同じく補欠の小原怜(30=天満屋)は2時間32分3秒で18位。補欠の1番手は小原だが、日本陸連の瀬古利彦マラソン戦略プロジェクトリーダー(64)は「最終エントリー(7月6日)までは様子を見たい」と説明し、松田の“昇格”にも含みを持たせた。

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サングラスを外した松田は笑顔だった。苦しさと向き合う1人旅を終え、山中美和子監督(42)の胸に飛び込んだ。タオルで顔を覆うと、今度は涙を流し「過去の自分を超えられず、本当にごめんなさい」。山中監督は「私はそんな評価では全然ない」とたたえた。

2時間21分51秒。自己記録に4秒及ばなかったが、3メートル以上の強風との戦いを制した。23キロ過ぎで2位の佐藤を振り切り、瀬古リーダーは「安定性で言えば女子の中で一番ある」。松田が2番手の五輪代表補欠について「順番はまだ。最終エントリーまでは様子を見たい。調子を見て、最高の人を(五輪に)立たせるのが我々の使命」と言及した。仮に代表3人にアクシデントがあった場合、4、5番手の違いは重要になる。

序列の指標は19年9月に行われたマラソン・グランドチャンピオンシップ(MGC)だった。代表内定の前田穂南(天満屋)、鈴木亜由子(日本郵政グループ)に続き、小原が3位、松田が4位。代表3枠目には20年3月の名古屋ウィメンズで一山麻緒(ワコール)が滑り込んだ。同月には日本陸連の河野匡・長距離マラソンディレクター(60)がMGC上位者を補欠1番手とし「同等のレベルであれば4番目を優先。5番目の選手が良くて、4番目の選手が出来上がっていないという(場合の)判断は、現場の専任コーチと話をする」と方針を示していた。

松田は昨年1月の大阪国際で小原に6分、この日も10分以上の差をつけた。小原を指導する天満屋の武冨豊監督(67)は「この大会に全てをかけて合わせてきたつもりはない」と前置きし「『MGCの順位以上に、東京(五輪)での結果を考えた時に松田』と言われても仕方がない。それも私自身が納得できる結果」。松田は1万メートルでの五輪挑戦よりもマラソンを優先する意向で「五輪で走る気持ちを持って、出られなかった場合はその後、日本記録に挑戦したい」と誓った。既定路線を揺るがす走りが、そこにあった。【松本航】