“燃える闘魂”。プロレスラー、アントニオ猪木さんの代名詞である。恩師の力道山が座右の銘としていた“闘魂”を、猪木さんも好んで色紙に書いた。それを知っていた元テレビ朝日の舟橋慶一アナウンサーが、試合中に「燃える闘魂」と実況したことで全国に広まったという。その闘魂を燃やす燃料になったのは“怒り”だった。

15年前、デスクとして猪木さんの長期連載『プロレスの証言者』を担当した。毎回、記事から浮かび上がってきたのは、燃え上がるような怒りの心情だった。1960年9月30日、同時デビューしたジャイアント馬場さんは勝利したが、猪木さんは完敗。「何で馬場は弱い相手で、オレは強い大木なのか。理不尽な気持ちがあった」と証言していた。闘魂の発火点だった。

人気レスラーになってから、怒りはさらに熱を帯びる。ショー的要素の強いプロレスを一般紙はいっさい扱わなかった。他のスポーツと差別され、世間も色眼鏡で見た。「すし店で“プロレスは八百長だから”と話していた客をたたき出した。そんな世間の目とも戦ってきたんだ」と、連載で猪木さんは振り返っていた。

あの有名なボクシング世界ヘビー級王者ムハマド・アリ(米国)との異種格闘技戦も怒りが発端。「オレらの時代は八百長論ばっかり。面と向かって“おまえ詐欺師だろう”と言われたこともあった。こん畜生と。だから誰もが認めるアリと戦えば、プロレスのステータスが上がると考えた」(『プロレスの証言者』より)。

怒りは不快な感情で、時に暴走してコントロールが難しい。老若男女誰もが手を焼くが、それを猪木さんは心の中でマグマとしてため込み、新たなチャレンジのエネルギーへと転化させた。そのパワーは不可能を可能にする力も秘めていた。それを彼はアリ戦を実現させることで実証した。

話題はガラリと変わるが、東京五輪・パラリンピック組織委員会の森喜朗会長が女性蔑視発言の責任を取って辞任した。事態を動かしたのは若い女性を中心にした怒りの声。SNS上で抗議が並び、15万を超えるオンライン署名が集まった。在日大使館をはじめ海外からもNOの声が上がり、大きなうねりになった。

2002年の大みそか、格闘技イベント「イノキボンバイエ」(さいたまスーパーアリーナ)で、猪木さんはお約束のマイクパフォーマンスでこんなメッセージを発信した。「怒って怒って怒ってみろよ。怒りの種が燃え尽きりゃ、優しい心の芽が吹いた」。これが怒りを燃やし続けた果てにたどりついた境地か。

アントニオ猪木さんは2月20日、78回目の誕生日を迎えた。闘魂は、まだ燃え尽きていない。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)

アントニオ猪木氏
アントニオ猪木氏