これで東京五輪は本当に開催できるのだろうか。新型コロナウイルスとはまた別の疑念が生じた。27日の丸川珠代五輪相の会見での発言である。医療体制について東京都に対して「当事者としてどのようにするおつもりなのか、お示しいただきたい」と訴え「(東京都が)どう責任を果たすのか。国はどう支援すればいいのか非常に戸惑っている」と苦言を呈した。

2週間前の問い合わせに回答がないとのことだが、電話やメールで催促して直接聞けないのだろうか。そもそも準備段階の当事者同士の内輪もめを会見で公表する必要があったのか。開幕まで3カ月を切ったこの時期に、五輪相と都知事のかじ取り役2人が一枚岩でないことを国民に露呈してしまい、肝心の医療体制も国と都で連携が取れていないことが明らかになった。

組織委員会が日本看護協会に大会期間中に看護師500人の確保を要請したと報じられ、強い批判にさらされたタイミングでもあった。責任のなすり合いと思われても仕方がない。これでは開催に懐疑的な多数派の不信感はさらに深まるし、開催を望んでいる人たちまでしらけてしまう。最前線で尽力している現場スタッフのやる気もそぎはしまいか。

4月中に判断する方針だった観客の上限は、28日の5者協議で6月まで先送りになった。変異株のコロナ感染者が急拡大し、医療が逼迫(ひっぱく)している現状をふまえて、もはや開催は「無観客」以外の選択肢はないと思っていたので拍子抜けした。観客50%でも連日約20万人が首都圏に押し寄せるので、現実的ではないし、結論を先延ばししたところで、7月末の感染状況が予測できるわけではない。

観客数が決まらなければ、医療スタッフやボランティア、警備員の配置や人数も決められず、観戦チケットを確保している人たちにも影響を及ぼす。準備期間を考えると時間の余裕はないはずだが、国も都も組織委も覚悟を決めて決断することができなかった。

気になるのは東京大会のリーダーの顔が見えないことだ。もし今以上にコロナ禍が拡大した場合、開催の可否はどんなプロセスで、誰がいつ最終判断を下すのか。菅首相は23日の会見で「東京五輪の開催はIOCが権限を持っています」と言葉を濁した。開催都市契約では中止する権利はIOCの単独の裁量と定められてはいるが、リスクを背負うのは日本国民。首相の発言として無責任すぎないか。日本で最終決断をした上で、IOCに通達するのが筋だろう。

コロナ禍という経験のない状況で、判断が難しいのは理解できるが、五輪開催を推進している当事者たちの発言はどこか責任を回避しているように聞こえる。コロナ禍という未曽有の災厄の中で迎える大会を開催するために、すべての責任を引き受けてやり抜く覚悟が伝わってこない。何だか中止後の責任のなすり合いが、目に浮かんできてしまう。【首藤正徳】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「スポーツ百景」)