新年、明けましておめでとうございます。本年もよろしくお願い致します。

皆さんはどんなお正月を過ごしただろうか。私はというと、昨年末に次女が誕生し、慌ただしくも、にぎやかなお正月となった。

そこで今年最初のコラムは、私の出産記をお届けしようと思う。


昨年末に次女が誕生しました
昨年末に次女が誕生しました

長女を出産してから3年が過ぎたころ、ありがたい事に第2子を授かった。コロナ禍ということもあり、安定期を過ぎても気の抜けない日々が続いた。いろいろ神経質になることもあったが、体調を崩すこともなく、元気に臨月を迎えることができた。

出産前日。陣痛のような軽い痛みがあり「そろそろかな」と思いながら過ごしていた。朝方に痛みが増し病院へ行くと、そのまま出産準備に入った。

「2人目は早い」という経験者からの声を信じ、すんなり産まれてきてくれると思い込んでいた。しかし、待てど暮らせどなかなか出てこない。いったん宿泊する部屋に戻り、陣痛が強まるのを待った。波のように押し寄せる痛み。時間と共にどんどん痛みが増し、立てないほどになった。「あれ?こんなに痛かったかな…」と記憶をたどりながら、いよいよ分娩(ぶんべん)台へ。

「もうすぐ終わる!」と意気込んだが、子宮口が9センチでストップ。あと1センチがなかなか開かない。助産師からは、何度も力を抜くように言われた。しかし、もだえるほどの痛みに邪魔され、思うように力を抜くことができなかった。

痛みに耐える中で、長女の時の出産を思い返してみた。あの時には確か「もう二度と自然分娩では産まない!」と心に誓ったはず。「出産の痛みは忘れる」と言われているが、「私は絶対に忘れない」と思っていた。しかし、またこの状況。知らない間に、その時の究極の痛みは忘れてしまっていたのだ。「これだ!思い出した!!」と思ったころには、時すでに遅し。

2人目の妊娠が分かった時に、無痛分娩や和痛分娩などについても選択肢として考えた。それぞれの経験者から体験談を聞いたり、自分でもさまざまなメリットやデメリット、そしてリスクなどを調べた。たくさん悩み、よく考えたうえで選択したはずの自然分娩。しかし、その選択を心の底から後悔した。

耐えるしかない痛みの中で、徐々にお産が進み、いよいよ頭が出てきた。少しずつ出てくる赤ちゃんの姿を見て、やっと我に返った。「あと少しだ」と思うと、ここでようやく力を抜くことができた。すると、最後はスルスルと出てきてくれた。私が助産師の言うことを聞けたのは、最後の1分ほどだっただろう。産まれた姿を確認し、「やっと終わった」と安堵(あんど)の声が漏れた。そして今回もまた「もう二度と産まない」と誓った瞬間でもあった。

結局、母子手帳に記された分娩時間は4時間。産道裂傷や会陰切開もなく、安産と言われるお産だった。しかし、この数時間での感情の起伏の激しさは、なかなか経験する機会がないほどのものだ。数分前には「もう産むことをやめてしまいたい」と思っていたのに、生まれてきたわが子を見て「やめなくて良かった」と一瞬にして心変わりしていた。

長女を産んだ時も、助産師の言う事を聞けなかったことは言うまでもないが、「赤ちゃんも頑張っているんだから、ママも頑張りなさい!」と叱咤(しった)激励を受けたことが、今でも印象深く心に残っている。現役時代、練習中にコーチからの演技指導を直すことは、得意な方だった。しかし、出産では全くそのことは生かせなかった。

出産で我を失いかけた時の言動は、今では面白エピソード。分娩を経て、ようやく「ネタ」として話せる時がきた。

まだ2人育児は始まったばかり。しかし、既に子供が1人の時とは全く違う大変さを感じている。母として、まだまだ未熟者だと痛感する日々だが、周りに甘えながら、私も子供たちとともに成長していきたい。

そして最後に、コロナ禍でも安心してお産に挑める環境を提供してくださった、医療従事者の方々には感謝の気持ちでいっぱいである。信頼できる先生や、助産師の方々との出会いも、特別な出産の思い出として心に刻まれている。

(中川真依=北京、ロンドン五輪飛び込み代表)