少しイライラもしたけれど、勝ち点3を取れてよかった。とはいえ、相手は新型コロナの陽性で主力を欠き、コンディションも良くなかったはず。思わずそう考えてしまうところに、この大会の難しさがある(もちろん、選手たちは全力で戦うだけなのだけれど)。

日本が目指すのは金メダル。ファンも金メダルを期待する。中には「銅メダル以上を」と願うオールドファンもいるだろう。日本サッカー史に残る1968年メキシコ大会の銅。「史上最強」と言われるチームだからこそ、金が見たい。

メキシコ五輪の日本代表が偉大すぎるがゆえに、日本サッカーは長くその「呪縛」に苦しんだ。選手たちはその後、日本協会の要職につき、指導者としても活躍したが、同時に「メキシコ組」に続く世代が育たなかったのも事実。杉山隆一や釜本邦茂らの引退で、長いトンネルに入り、五輪からも遠ざかった。70年、80年代の低迷期には「メキシコの呪縛」が言われた。

メキシコ大会のころは夢にも思わなかったプロリーグが誕生し、存在さえもよく分からなかったW杯にも連続して出られるようになった。半世紀以上前の栄光を知る人も減った。銅メダルメンバー18人も、半数近くが亡くなっている。

メキシコ大会以来予選敗退が続いた五輪は、96年アトランタ大会から7大会連続出場。今大会では韓国の9大会連続に続く「常連」だ。それでもまだ、銅メダルは越えていない。2000年シドニー大会はベスト8、12年ロンドン大会は3位決定戦で敗れてメダルを逃した。もちろん、選手たちは意識していないだろうし、あと1歩で届かないと「呪縛」が頭に浮かぶ。

ただ、当時と今とでは五輪のサッカーが違う。メキシコ大会の時は「アマチュア」の大会。日本が分けたブラジルもスペインも、みなアマチュア選手だった。今は23歳以下とはいえ「プロ」。終わったばかりの欧州選手権で活躍した選手もいる。同じ五輪とはいえ、違う大会と言っていい。

18年10月、都内で「メキシコ五輪銅メダル50周年パーティー」が開かれた。タイトルは「アステカの奇跡から東京へ」。メキシコ大会の68年に生まれた森保監督が、レジェンドたちからエールを贈られた。釜本氏に促されて壇上にたった同監督は「金メダル獲得目指して、頑張ります」と力強く誓った。メキシコ組もまた「呪縛」が解き放たれるのを待っている。史上最強の五輪代表に、その力があることを信じて。【荻島弘一】(ニッカンスポーツ・コム/記者コラム「OGGIのOh! Olympic」)