「僕は自分が速いと感じたことはない。トップの時は常になかった。常に誰かが前にいた」

 9秒98を出した桐生祥秀。「プライマリーサッカークラブ」に所属した城陽小時代は、正GKがいなくなったことでGKに頼まれ、彦根市選抜にも選ばれた。城陽小のクラブ活動もサッカー部を選んだが、学校ではFWとして前線をがんがん走り回った。桐生は「GKでシュートを止める感覚は楽しかった。でも点も取りたかったなと思います」。同クラブの卒団式では「中学校では陸上をやります」とはっきり言った。「お兄ちゃん(将希さん)が陸上をやっていて、走るのが楽しそうだったから入ろうと思った」と振り返る。

 しかしサッカー部の快足と、陸上部の快足は違った。彦根市立南中では同学年に桐生よりも速い子がいた。中学時代の恩師億田明彦教諭(49)は入学当初のことをこう口にする。

 「小学校がサッカー部だったので、専門的に教えられてなかった。細くて、きゃしゃで、背も高くなくて小柄だった」。滋賀県大会で初めて入賞したのは中1の10月。12秒87で8位。つまり決勝で最下位だった。「ようやく8位という感じでした。当時は『上にいけるな』という感じはなかった。でもトレーニングはサボることなく、頑張って続けていた」。

 中2の7月に11秒78と1秒近くタイムを短縮した。ちょうどそのころ、県内の中学校が全国大会の400メートルリレーで優勝。「全国、いきたいな」という意識が芽生えた。9月には中2での自己ベスト11秒25をマーク。全国大会の参加標準記録11秒30を切って、来年の全国大会出場を見えてきた。

 しかし中2の冬合宿、初めてのけがが桐生を襲った。腰を痛めて、翌年3月まで3カ月間、走れなくなった。桐生は今でも無意識に腰をさわる癖がある。その間はコルセットをはめて体幹を鍛えるなど、地味なトレーニングが続いた。桐生は「何で自分だけ走れないんだろう」と、じりじりした気持ちで冬を過ごした。

 腐ったりはしなかった。億田教諭は「ちゃんと部活に来ていた。周りの子も声をかけて、気持ちが切れなかった。よくあそこから復活したなあと思う」。けがから復帰した中3の春、いきなり追い風参考で10秒99をマーク。億田教諭は「え、と思った」。5月に10秒98(+1・5メートル)を出し、滋賀県の中学生で初めての10秒台をマーク。7月に10秒87(+1・7メートル)をたたき出した。同じく陸上部顧問だった大橋聖一教諭(56)は「これは何だ!と思った。記録が3段跳びぐらいで上がった」と振り返る。

 けがを乗り越えて一気に開花した「ジェット桐生」。だが中3で初出場した全国中学校体育大会で、のちに大きな意味を持つ敗北を経験をする。【益田一弘】

 ◆益田一弘(ますだ・かずひろ)広島市出身、00年入社の41歳。大学時代はボクシング部。陸上担当として初めて見た男子100メートルが13年4月、織田記念国際の10秒01。昨年リオ五輪は男子400メートルリレー銀メダルなどを取材。