“神の子の子”が米国でプロデビューの日を迎えようとしている。「ボクシング界の起爆剤になりたい。だから本場で戦いたいと思いました。この人の試合をもう一度見たいと思ってもらえる試合をしないと。ものすごく大事な一戦になる」。

岩田翔吉、22歳の無名のボクサーは、大言壮語とも取られかねない言葉を滑らかにつないでいった。ただ、無名だからこそのビッグマウスという、「プロ0戦」の者に許されるありがちな大きな志からは、少し外れた域にこの人はいるようだ。12月8日(日本時間9日)、米カリフォルニア州カーソンのスタブハブ・センターでジョエル・バミューズ(米国)とのライトフライ級4回戦で、初陣を張る。

出自が興味深い。「父が格闘技観戦によく連れて行ってくれて」。都内在住の小学校低学年、00年代中盤、時は格闘技ブームの真っ盛り。ランドセルを背負って、PRIDE、K-1、DREAMとその空気を吸った、なにより初の生観戦に運命の「父」はいた。04年の大みそか、山本KID徳郁は、「Dynamite!!」のリングで魔裟斗に対峙(たいじ)していた。K-1ルール、総合格闘家の山本には不利という下馬評を覆し、ダウンを先取する姿に「なんて面白いんだ!」ととりこになった。結果的には判定負けだったが、すぐに都内の主催ジムに足は向かった。9歳、ジムで最年少の「神の子」KIDの弟子が誕生した。「自分も小柄だったので、大きな選手に立ち向かう姿に勇気をもらった」。

小学生のジム生は、高校生、大学生とスパーリング。そこに良い意味で配慮はなかった。それが心地よかった。キックボクシングでのタイでの武者修行なども経験し、やがて、自分が歩むべき道も見えてきた。中学2年の時、「パンチが大好きだった。パンチだけの方が良いかな」とボクシング専念を決意。ただ、以降も濃密に山本家との親交は続いた。

9月18日、「父」は逝った。2年前くらいから急激に痩せ始める姿に異変は明らかで、病状も知っていた。早大ボクシング部での活動を全うし、帝拳ジムを拠点にしてプロデビューの舞台が整いつつある中での訃報だった。最後の言葉は「めっちゃ楽しみ」。あえて本場でのデビュー戦にこだわったその姿勢も、背中を押してくれていた。

高校時代には、のちに世界3階級制覇する田中恒成や、世界戦を間近に控える井上拓真に勝利し、高校総体も制した。早大を経由し、米国に立つ。「リズムがある選手は見ていて楽しい」と攻撃的なスタイルを信奉し、「バイオレンスさをまとった選手が良いと思う。怖さじゃないですけど」と、イメージは当然、「父」に重ねる。

163センチ、軽量級、小柄だからこそ、魅了することができる。幼くして確信した真実を体現させる。

【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)