良き敗者は勝者の輝きを増す。

「本当に申し訳ない…」

「航平さんなら絶対に金メダル取ってくれると思うので、大丈夫です!」

体操の東京オリンピック(五輪)最終選考会となった全日本種目別選手権の最終日が行われた6日、代表選手が告げられた直後に、そんな会話があった。

鉄棒の内村航平(32=ジョイカル)の謝罪にすがすがしく返したのは、跳馬の米倉英信(24=徳洲会)だった。

国内選考会で決まる個人枠の1枠を巡り、4月の全日本選手権、5月のNHK杯、そして全日本種目別の3大会の5演技、一流の技を刻み続け、競り合い続けた2人の結末は、わずかもわずかの差で内村に軍配が上がった。

米倉は先に演技を終えていた。最初に跳んだのは自身の名が付く最高難度「ヨネクラ」。横向きに跳馬に着手し、伸身姿勢で宙返りをする間に3回転半ひねる大技を、わずかな着地の乱れで収めた。2本目の「ヨー2」が大きく着地で跳ねたが、2本の合計を割る決定点で15・150点。これで5演技すべてで19年世界選手権の優勝スコアを上回った。

「相手は航平さん。自分のやるべき演技をできて、負けたら、それは全然良いんです」。ずっと言い続けていた。やるべき事はやった。そして、最終種目の鉄棒の演技を見詰めた。

内村の演技は本人も納得に遠かった。ただ、本当にわずかの差、足先1つの乱れレベルで、代表権は内村に渡った。届きそうだった五輪の舞台。悔しさが沸きそうなシチュエーションで、謝罪を受けたが、逆に期待を伝えた。「やるべきことはやった」。その一心にブレはなかった。

「『ヨネクラ』習得で人生は大きく変わったんです。いまは楽しいですね」。3年前、18年の全日本種目別選手権で「ヨネクラ」を決めて初優勝した。当時通っていた福岡大卒業後は「体操は辞めよう、就職活動をしよう」と思っていた矢先。「そこで180度変わった。優勝してなければ、いまここにいないです。急に人生が変わった」。

体操が好きでたまらないというタイプではない。ただ、跳馬だけは跳んでも跳んでも楽しさが募った。東京五輪での種目別出場へ、19年から跳馬だけに専念し、「好きなことだけ練習できるんですよ。本当にハッピーです」と心は常に晴れた。

選考会で注目度が増し、内村のライバルとして取り上げる機会が増えても、重圧や気負いなどで曇ることはなかった。そして、戦いを終えても、どこまでも爽やかだった。

「まあ、あと1歩というところで、惜しかったなと」。報道陣にもさらっと言った。そして、続けた。「この3カ月間が、練習から気を抜けないというか、試合も気を抜けない。その中で最終的には今日、五輪の権利をとることできなかったですけど、航平さんと競り合ってやってきたことは今後の試合、人生においても強みになる。誇らしく思います」。

冒頭の会話には続きがある。内村は「ドーハで取ってきてね」と期待を寄せた。今月下旬にカタールのドーハで開催されるワールドカップ(W杯)の成績次第で、最後の最後の1枚の個人枠の切符を勝ち取れる可能性が残る。「非常に良いプレッシャーをくれていたので、米倉にはすごく感謝している」と思いを口にしたキングと、一緒に五輪舞台に立てるチャンスはある。

「今度は航平さんと同じ舞台に立てるように頑張りたい。切り替わりましたね」。ドーハは徳洲会の先輩、あん馬の亀山耕平とともに出場し、五輪に行けるのは1人。内村に続く、再びの“一騎打ち”になるが、きっと心は晴れたままだろう。

「跳馬はすぐに終わる。ダイナミックな種目だと思う。一瞬の力強さ、すごさを届けられる演技をできたらいい」。人生を変えた「ヨネクラ」を携え、最終決戦に臨む。「グッドルーザー」で終わるにはまだ早い。【阿部健吾】(ニッカンスポーツ・コム/スポーツコラム「We Love Sports」)

鉄棒の決勝でブレトシュナイダーを決める内村(撮影・河野匠)
鉄棒の決勝でブレトシュナイダーを決める内村(撮影・河野匠)