ラグビー日本代表で主将、監督を務めた神戸製鋼ゼネラルマネジャー(GM)の平尾誠二(ひらお・せいじ)氏が20日午前7時16分、53歳で死去した。詳細は非公表。京都・伏見工高3年時に司令塔(SO)として全国制覇。

 “泣き虫先生”こと伏見工(現京都工学院)高の山口良治総監督(73)が、教え子の訃報に涙した。京都市内で取材に応じ「代われるものなら代わってやりたい。なんで先に逝くんや…」と目頭を押さえた。昨年のW杯イングランド大会中に、現地で食事をする約束をしていた。だが平尾氏から断りの連絡を受けた。「手術をすることになったと言っていた。死ぬなんて思ってもいなかった」。

 39年前の秋。京都府秋季大会決勝戦で、陶化中3年だった平尾氏を初めて見た。そのプレーにほれ込み、自宅を訪ねた。既に特待生で名門花園高への入学が決まりかけていたが、熱く夢を語りかけた。

 「当時は親御さんが『あんな学校には行かせられない』と言うくらい、伏見工はワルの集まり。授業料免除で、ラグビーの強い高校に誘われたら普通は行く。でも平尾はそれを振り切って私の夢を追ってくれた」

 忘れられない思い出がある。高校1年の京都大会決勝で花園高に敗れ、全国大会出場を逃した時のこと。その帰り道。平尾氏は表彰式で受け取った準優勝トロフィーを投げ捨てて帰ってきた。悔しさをバネに、翌79年度に全国大会初出場を果たし、最終学年の80年度に初の全国制覇。その快進撃はドラマ「スクール☆ウォーズ」として描かれた。当時は視聴率20%を超えることもあり、ラグビー人気に火を付けた。

 「真面目ないい子。あんな子と一緒にラグビーがやりたくて…。平尾が私の夢を選んでくれなければ、伏見工の優勝はなかった」

 3年前、山口総監督は2度目の脳梗塞で倒れ、生死をさまよった。病室に来て手を握り、いつまでも励ましてくれたという。

 「私は平尾を叱ったことがない。でも今は初めて叱ってやりたい。怒ってやりたい。何で先に死んでしまうんや!」。【益子浩一】