日本人2人目のNBA選手が誕生した。グリズリーズと「ツーウエー契約」を結んでいる渡辺雄太(24)が、サンズ戦に途中出場した。04年にサンズでプレーした田臥勇太(38、栃木ブレックス)以来、14季ぶりに日本人がコートに立った。渡辺は第4クオーター(Q)途中から4分31秒出場し、フリースロー2本を決め、2得点2リバウンドを記録。約5年前の渡米時からの夢を実現した。

夢をかなえた4分31秒だった。第4Qの途中から出場した渡辺は、自らゴール下に切り込んでジャンプシュート。相手のファウルを誘って2本のフリースローを獲得し、2本ともリングに入れた。「素直にうれしい」と第1歩を喜んだ。

206センチの高さを生かし、堂々と渡りあった。身長に加え、俊敏性やシュート力を兼ね備える器用さが持ち味。ゴール下の争いにも飛び込み、リバウンドも2本取った。故障者もあり急きょ出番が回ってきた中で「当たり前のことをやろうと思い、それはできた」と短時間で持ち味を体現した。

努力を重ねてここまで来た。小学校の時から父英幸さん(60)と、三木町から高松に向かう県道を走った。当時、1度だけ一緒に走った同級生の茂中雅喜さん(24)は「本当に長く険しい山道。とても行こうとは思わない」と述懐する。練習を休んだことは1度もない。香川・尽誠学園高の恩師、色摩(しかま)監督は「努力の上に才能が乗っている」と表現。インサイドで体をぶつけることより外角からのシュート力を磨いた。ジョージ・ワシントン大では米国選手にはね飛ばされて体格差を痛感。NBAに近づくために3点シュートを極め、夜の個人練習を欠かさなかった。

高校卒業後の18歳で渡米した。背中を押したのは、日本人初のNBA選手田臥勇太だった。高校3年。海外留学するか悩んでいた時、日本代表に引き揚げたウィスマン監督(現横浜ビー・コルセアーズ監督)が「田臥と話をした方がいい」と助言。英幸さんの携帯番号を田臥に教えた。田臥から電話で「絶対に雄太をアメリカに行かせてください」。日本人NBA選手の先輩からの言葉を受け、親子は決意を固めた。

今はNBA昇格日数が限定された契約で次の出番がいつかは見通せないが、今後本契約を結べる可能性も十分にある。「今日プレーできたことで1歩先に進めた。でも20点差以上リードがあった場面だし、あくまでスタートラインに立っただけ」。20年東京オリンピックの開催国枠での出場はまだ不透明だが、日本には米ゴンザガ大で活躍する八村塁ら海外で力をつける若手が台頭してきた。24歳の挑戦が歴史をつくる。

◆ツーウエー契約 NBAキャリア4年以内、またはNBAと契約を交わしたことがない選手が対象で、下部リーグに所属しながら、NBAでも最大45日間の帯同が許される。昨季から導入。チームのロースター(出場選手登録)は最大15人だが、ツーウエーの選手を2人(計17人まで)登録できる。