1972年(昭47)札幌冬季五輪のノルディックスキー・ジャンプ70メートル級の銀メダリスト、金野昭次氏が亡くなっていたことが9日に分かった。昨年3月に小咽頭がんを手術し、その後は闘病生活を続けていたが、5日に札幌市内の病院で死去した。75歳だった。現役時代は五輪に2度、世界選手権に1度出場。引退後もジャンプ界を裏方として支えていた。

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「日本の切り込み隊長」に「カミソリサッツ」。現役時代の金野さんを例える表現は、どれも切れ味の鋭い刃物を想像させるものばかり。しかし、取材の待ち合わせ場所に現れた金野さんは、温厚で、人懐こい、優しいおじさんだった。

12年、北海道日刊スポーツの発刊50周年紙面企画で取材した。「私より笠谷さんは取材したの? (銀)メダリストというより、ただの普通のおじさんだろ」。細い目をより細くして笑った。取材が始まると、161センチの身長がもう5センチ高かったら野球選手を目指していたこと、小柄な身体を補うため瞬発力強化に努め「カミソリサッツ」の異名を取ったことなど、ゴルフが好きなこと…。予定の取材時間をオーバーしても熱く語ってくれた。

記者が9歳の時、父に連れられ宮の森ジャンプ競技場で「日の丸飛行隊」のメダル独占をライブ観戦したことを話すと、「そう、それはうれしいね。70メートル級の1本目(82・5メートル)が、私のスキー人生のベストジャンプだったよ」としみじみ話してくれた。冬場はボランティアで競技役員として宮の森、大倉山に赴いていた金野さん、これからも天上から後輩たちのジャンプを優しく見守っていることだろう。合掌。【長内準】