国立にラグビーが帰ってきた。早大が明大との激戦を45-35で制し、11大会ぶり16度目の大学日本一になった。不利の下馬評を覆す前半31-0で滑り出し、後半は2連覇を狙った明大に5トライを許すも逃げ切った。国立早明決勝は23シーズンぶり。生まれ変わった聖地、復活した伝統カードで5万7345人を感動させる令和の初代王者になった。伝説が再び始まった。

     ◇     ◇     ◇

かつてはなかった国立の屋根に早大の「荒ぶる」が反響した。大学選手権を制した時にしか歌えない第2部歌。6万弱の視線を浴びながらSH斎藤直人主将(4年)が、相良南海夫監督(50)が、127人の部員全員が楕円(だえん)になった。11季ぶりの絶唱。主将が「やはり特別」と喜べば、監督は「自分の卒業時に歌えなかった『荒ぶる』が聴けて感無量」。旧国立最多33勝を誇る早稲田が新国立1勝を挙げた。

前半は完璧。9分に斎藤のPGで先制し、12分にNO8丸尾崇真が国立初トライ。FWの要が大外で待つプレーが決まると、SO岸岡智樹はDGを2連続で狙った。「時間と体力を奪う作戦」が、初の聖地で浮足立った明大をさらに惑わせる。3連続トライ。父弘光さんも早大で日本一のフッカー森島大智、相良監督の次男で1年生フランカーの昌彦も続いた。国立を熱狂と静寂に分けた。

後半は一転、前回王者が意地の5トライ。最大31点差から24点差、17点差、10点差…。33分には2人が倒れて13人の危機も、しのいだ後のスクラムから丸尾が持ち出し、最後はWTB桑山淳生がインゴールに体を預けた。1年からレギュラーの斎藤、岸岡、CTB中野将伍はフル出場。最初で最後の国立で声が通らなくても、4年がかりの、あうんの呼吸は乱れなかった。

創部100周年を迎えた昨年、元主将の相良監督が就任。早大学院高時代に、早稲田ラグビーの骨格を築いた大西鉄之祐氏の薫陶を受け、2歳上の清宮主将と平成初の大学選手権優勝を遂げるなど国立で計9試合プレーした。卒業後は三菱重工相模原をトップリーグに昇格させた男の第一声は「主役は君たちだ」。主体性を求めながら全部員に目を光らせる。意識が低いと見るや「空気だけ吸いに来るな。邪魔だ。生き様を見せられないなら辞めろ」と要所を締め、エリート組も岸岡が「僕らもBチームやCチームの試合を必ず全員で見るようになって改善し合った」。選手権の初戦敗退が続いたチームが徐々に息を吹き返し、昨年度は8季ぶり対抗戦優勝。今季も4年生全員でラグビーW杯を観戦するなど一体感を増して決勝に駒を進めた。

最後の壁が宿敵明大だった。昨年度は準決勝で敗れて100周年を汚され、今年は1カ月前の対抗戦で7-36の屈辱。斎藤や副将の幸重天らリーダー陣は深夜まで本音をぶつけ合い「勝ちポジ」と呼ぶ、低く正しいタックルと心中する覚悟を決めた。その守備で前半完封し「4年間の努力を肯定できた」と斎藤。反骨のアカクロが令和初の胴上げで宙を舞った。「ONE TEAM」が列島を駆けた1年。1番、一丸を目指す「For One」をスローガンに掲げた早稲田が覇者に返り咲いた。【木下淳】

▽右ふくらはぎ肉離れから完全復調した早大CTB中野 しっかり責任を全うできて良かった。全員が役割を理解し、自覚を持ってプレーできたことが勝因。

▽元日本代表で明大OBの泰治氏を父に持つ早大FB河瀬 自分は自分で日本一になると決めていた。実現できて本当に幸せ。(明大に負けた)対抗戦からのチームの成長がすごかった。

◆早大ラグビー部 1918年(大7)11月7日に創部。優勝は関東大学対抗戦23回、大学選手権16回、日本選手権4回。87年対抗戦で、明大との「雪の早明戦」は名勝負として今も語り継がれる。大学選手権優勝時だけ第2部歌「荒ぶる」を歌う。相良南海夫監督。主なOBは堀越正巳、五郎丸歩、布巻峻介、山中亮平ら。