柔道を担当した記者として、4月の終わりが近づくと自然と全日本選手権の季節だなと感じる。今年は新型コロナウイルスの影響で延期が決まり、春の風物詩を見ることはかなわずに残念だが、1948年から続く無差別での日本一決定戦に漂う独特の雰囲気をまた味わいにいきたい。

近年で話題をさらった選手と言えば、リオデジャネイロ五輪金メダリストの大野将平(28=旭化成)だろう。男子73キロ級の世界王者、発祥国の神髄を体現するような正統派が、重量級の選手らに真っ向勝負を仕掛ける姿。これまで2回、伝統の畳に上がっている。

初参戦は14年大会。13年の世界選手権覇者として特別推薦枠で出場し、いきなり出色の戦いを見せた。初戦の2回戦を判定勝ちで滑り出し、3回戦の相手は100キロ超級の王子谷剛志(27)。この大会で初優勝を飾り、現在まで3度の日本一に輝く超級の猛者に、正面からぶつかった。体格差は如実、上から奥襟を持たれ、どうしても首を下げられそうな劣勢でも、決して腰が折れない。引くことなく、最初に内股を仕掛けたのは大野だった。さらに、王子谷必殺の大外刈りの右足がかかりそうになりながら、無類の体幹の強さで脱出した。どちらも会場にどよめきが起きたのを鮮明に覚えている。

引き手を相手の脇下に差し込んでコントロールする、そんな73キロ級での通常運転を一切崩さず、惜しくも指導の差で敗れはしたが、むしろ技をしかけていたのは大野。姿勢を直立させる際に重要な脊柱起立筋の発達がデータで証明されたこともあるが、この一戦では特に肉体の強靱(きょうじん)さが際立っていた。名残惜しむような称賛の拍手が、畳みの上で初めて腰を折り、深々とお辞儀をするその背中に注がれていた。

2度目の参戦は17年大会。リオで世界一の称号を得て、さらにその勝ちっぷり、振る舞いが世界に広がる柔道の王道を歩む王者というイメージを確立させての舞台。海外合宿では100キロ超級の絶対王者テディ・リネール(フランス)とも乱取りを行う姿が見られるなど存在感は抜群だった。無差別という戦場でも勝ち上がっていくのではないかという期待が高まった年だった。

初戦の2回戦、相手は100キロ級の池田賢生。リオ五輪でも披露した多彩な技を惜しみなく発現していく。冒頭にはともえ投げ、引き込んでぶち抜くような内股で池田の体を回す場面もあった。国際大会優勝経験も持つ28歳の熟練者をまさる勢いがあった。先に消極的姿勢で指導を取られたのは池田。さらに大野は背負い投げも差し入れ、技のポイントに徐々に近づいているかにみえた。

先に相手に池田に2つ目の指導がいったが、ここから攻め疲れに、池田の奮起が重なり、戦況が変わる。4分過ぎに押し込まれて畳を割って指導を取られると、延長戦では消耗著しい中で池田の大外刈りの餌食になり一本負けを喫した。9分54秒の熱戦は、この大会最長。大会最軽量の堂々たる試合ぶりに、万雷の拍手が注がれた。

技で勝つ。投げて勝つ。正面から突破しようとする姿勢。大野が全日本で見せた3試合は、これまでの中量級以下の挑戦者が、パワーに対するスピードに活路を見いだしてきた系譜とは一線を画していた。特別に増量するわけでもなく、あくまで主戦の73キロ級での常を持って相対する。ルールで足取りが可能だった時代と比べ、奇襲の選択肢が狭まり、体重が軽いものにはより壁は高くなっている中で、貫き通すその信念は一層際立った。

池田との試合後、報道陣に答えた。テレビの取材が終わり、囲み取材も終わると、壁に背中をつけて中腰になった。その姿勢で、口を真一文字に結び、長いこと考え込んでいた。勇猛な戦いに、一切の否定はない。周囲には肯定があふれた。ただ、「どうでしたか?」と評価を聞く姿には、どこか釈然としたない気持ちも感じさせた。戦い方で存在感は示せたが、また勝利で示せる価値もあっただろう。大野だからこそ、過度であるかもしれない期待は、過度であることで大野の存在証明となる。それを本人は受け入れていると思う。だから、勝ちたかったのではないか。

このままグッドルーザーでは終われないだろう。五輪は1年延期となり、3度目の挑戦がいつになるかは不透明だが、必ず還ってくるはず。その時を楽しみしたい。【阿部健吾】