24日に53歳で死去した92年バルセロナ五輪柔道男子71 キロ 級金メダルの古賀稔彦さんの通夜が28日、川崎市内の寺院で営まれた。

柔道私塾「講道学舎」で苦楽を共にした同五輪男子78 キロ 級金メダルの吉田秀彦氏(51)は「やっぱり現実とは受け取れない心境です。元気になってくれると信じて先輩に声をかけていたので、それが通じず信じられない気持ちでいっぱいです…」と涙を浮かべた。

同五輪で古賀さんは、吉田氏との現地練習で左膝を負傷。痛み止め注射を打ちながら執念で全5試合を制し、奇跡の金メダルを獲得した。前日に頂点に立った吉田氏は感涙。その光景は、今も日本柔道界の名場面として語り継がれている。

吉田氏は当時の様子を思い返しながら、声を震わせてこう言った。

「本当に中学から同じ釜の飯を食って、自分は何でも古賀先輩のまねをしてきた人間。五輪の練習でけがをさせてしまった後に自分に気遣い、周りに気遣い…。ああいう状況でも、試合に出ることを諦めない姿勢を間近でずっと見てきて、自分じゃまねできないと思いました。本当の兄貴みたいだし、五輪で2人一緒に金メダルを取れたのも先輩のおかげだと思います。良いお手本でした」

吉田氏は、23日夜から古賀さんの自宅を毎日訪れ、親族らとともに励ましの言葉をかけたり、弔問客の対応などを行った。そこには、名門講道学舎を卒業してから30年以上の時が経過しても、2歳上の偉大な選手と付き人の関係があった。