いま打ち込む拳は何のため…。

「看護師ボクサー」として東京五輪を目指してきた女子ミドル級の津端ありさ(27)は2月、勤める都内のクリニックでの勤務を終え、1本の電話を受けた。「世界最終予選がなくなった。ごめんな…」。コーチからのひと言は、残酷な現実を知らせた。その場に立ち尽くした。リングに上がることなく、勝負が終わるのか?

新型コロナウイルスの影響は、東京五輪開催の可否によらず、すでに多くのアスリートの運命を狂わせている。ボクシングでは、6月に開催予定だった世界最終予選の中止が2月に決定。出場者は世界ランキングで選出されることになった。日本は昨年3月のアジア予選で敗退した男女5人が最終予選に回り、ラストチャンスにかけるべく、1年を過ごしてきた。だが、世界ランク方式では出場はかなわない。突然、戦う機会すら奪われた、3人のいまに、3回連載で迫る。

津端は、仕事も練習もボクシング漬けだ。業務前、デイケアの運動療法用に院内につるされているサンドバッグを打ち込み、ミット打ちをし、今度は開院とともに立場を逆に。ミットに手を通し、患者のパンチを受ける。「ほぼほぼ、ずっとボクシングやっている感じです。ミットは私の練習にもなっています」。

1月にいまの病院に転職した。五輪のためだった。「このまま、あと半年やっていて大丈夫かな」。焦りがあった。前職は埼玉県内の総合病院。コロナ禍の影響濃かった。発熱患者が来れば、特別な治療体制が敷かれる。時間も、負荷も、コロナ前より過酷になった。

「仕事の疲労も、ボクシングの疲労も作りながら、目の前に五輪予選がある。一生に1度のチャンスなのに、そこに全力をかけられないのはどうなんだろう」。悩みが深まった12月、婦長に相談した。「津端さんのボクシング人生を私が止めることはできない。納得するところまで頑張った方が良いよ」。医療現場は過酷さを増すばかり。そこを抜ける意味も分かりながら、背中を押してくれた。

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新たな職場へ誘ってくれた極真空手出身の院長は、ミットを持って朝練に付き合ってくれる。最終予選へ環境が整ってきた。その直後の中止だった。

「すぐはショックで、あぜんとしたんです。でも…」。頭に浮かんだのは、応援してくれた周囲。前職の仲間は退職の際に2冊のアルバムを贈ってくれた。「ボクシング応援してます」「津端さんの看護、頼もしかったです!」。そんなメッセージが添えられていた。

「みんなに恥じないように取り組まないと」。常に応援してくれた皆の顔が今後の道しるべだった。「頑張ってきたことを、挑戦すらできないのはかなり残念ではありますけど、でも、こればかりは誰が悪いというものではない。仕方ないかなという気持ちもゆっくり考えるとでていて、努力と時間は無駄ではなかったといまは感じられてますね」。

津端は競技歴は2年、選手としてのキャリアはもっと短い。18年にダイエット目的で始め、魅力にはまり、初めて出場した19年の全日本選手権で優勝し、日本代表入りした。アジア予選が初の国際大会で、当初は最終予選には派遣なしが決まっていた。「私はそもそも挑戦権自体がもらえなかった」。だから延期された1年間は濃密だった。「他の選手が5年間でやることを1年でやろう」。コーチの声を信じ、密着指導を受け、拳は磨かれた。

五輪が1年前に開催されていたら、「前の職場も辞めずに、ダイエット目的で終わっていたかな」。

いまは…。「パリを目指します、と言いたいところはあるんですが、先の事過ぎて。目の前の大会を1つ1つやりながら積み重ね、国際試合などにつながるものがあれば良い。向き合い方? すごく変わりましたよ。こんなにもボクシングが中心になるとは」。5月14日には、ロシアのハバロフスクで行われたコロトコフ記念トーナメントで、国際大会での初勝利を手に入れた。

延期でも中止でも、五輪を巡り運命は揺れ動いた。ただ、この1年間で積み上げてきた事実には他にはない価値があり、それはどんな結果でも変わらない。それが、いま津端が拳を打ち抜く理由。【阿部健吾】(つづく)

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