「超新星」玉井陸斗(14=JSS宝塚)が、逆転で五輪代表に内定した。予選で405・20点を出して15位で通過。上位18人による準決勝に進み、日本水連が定めた「準決勝18位以内」という選考基準を満たした。準決勝は9位で4日に12人で争う決勝に臨む。

予選は、1本目こそ2位と好スタートを切ったが、4本目終了時点で24位まで順位を落とした。5本目終了時点では19位と五輪代表圏外だった。最後の6本目で、全体2位の91・80点の高得点をたたき出し、予選15位と逆転で準決勝進出を決めた。五輪代表切符を事実上つかみ取った。

玉井は予選を終えて「素直にホッとしています」。5本目までは19位だっただけに「最後(の6本目)は決めるしかないなと挑んで、決めることができた。自分的にも結構、満足しています」と、劇的な予選突破に手応えを口にした。

陸斗の名前は「大陸のように広い心を持った人になってほしい」との願いが込められている。中学1年生だった19年4月の日本室内選手権でシニアデビュー。12歳7カ月の史上最年少優勝を飾って注目を集めた。

当初はパリ五輪が目標だった。小4年の冬に、所属先が寺内健らの中国合宿に同行した。そこから寺内、板橋美波、荒井祭里らを育てた馬淵崇英コーチの指導を受けている。小5から10メートルの飛び込み台で練習し始めて「109C(前宙返り4回半抱え型)」に成功したことで得点力がアップ。衝撃のデビューVを飾って目標が東京五輪になった。

しかし五輪内定の可能性があった19年世界選手権は、国際水連の年齢制限ルールで出られなかった。

ただ東京五輪は出場可能だった。しかし東京五輪はコロナ禍で1年延期。夏季五輪日本男子最年少記録の更新となる「13歳10カ月」も幻となった。従来の記録は1932年ロサンゼルス五輪競泳北村久寿雄の14歳10カ月4日。延期された21年7月23日開幕時点で8日届かなくなった。玉井は「(最年少記録は)今年の自分しか塗りかえられることができない記録であったのでとても残念です」。それでも気持ちを立て直して試合がない間は筋力をアップさせ、跳躍器具を使って、空中感覚を磨いた。

昨年12月には練習中に左肘を痛めた。高飛び込みの本数を制限して、基礎練習を繰り返して、調子を合わせてきた。今大会も4月に国際水連が1度は中止の意向を発表するなど、揺れに揺れた。コロナ禍で東京五輪を巡るさまざまな意見もある。それでも14歳は「(いろんな意見があることは)しかたがないなと思うようにしています。自分の中でしっかりやっていかなきゃと思うようにしています」。一発勝負となった東京五輪チャレンジを見事にものにした。【益田一弘】