男子テニスの錦織圭(31=日清食品)が、約10年7カ月維持したランキング上の日本男子NO・1を譲るときが来た。14日に発表される最新世界ランキングで、西岡良仁(25=ミキハウス)が56位、錦織が57位の予想で、その差、わずか1ながら、日本男子の“王座”が入れ替わる。

錦織には、若干、不運だった。新型コロナウイルス感染拡大の影響で、世界ランキングは昨年3月から8月まで凍結。再開後も、通常より大会が少なく、開催時期もずれ込んだため、暫定的に計算方法を変更して世界ランキングは算出された。

通常、獲得した得点は52週有効で、19年に獲得した得点は、20年の同時期に消滅する。しかし、20年にツアーが中断したことで、19年に獲得した得点が、21年まで有効となる大会もあった。錦織の場合、全仏とウィンブルドンが該当。19年はともにベスト8で、2大会で各360点、合計720点を稼いだ。今年の同大会が終わった瞬間に、この360点ずつがなくなる。

10代の半ばに出会い、その頃は、ひょろっとして、体線はぐにゃぐにゃ。センスだけでテニスをやっていた。シャイで、言葉は少なめ。少し暗めの普通の男の子だ。しかし、いったんコートに入ると殺人的で、そのギャップに驚かされた。

おおざっぱに言えば、見ていておもしろい。それだけで、錦織が無名の時から、掲載をプッシュしてきた。ただ、何となく、取り上げることが楽しい男だった。もちろん、世界のトップ10に入る保証など、どこにもなかった。

08年2月のデルレービーチ国際で、錦織がツアー初優勝を飾ったとき、「(掲載をプッシュし続けた社に対して)うそつきにならなくて良かった」と、真っ先に思った。当時は、すごい出来事とはいえ、そのレベルだった。空港でラーメンをおごったこともある。筆者のちょっとした自慢だ。

今や、日本でもっとも稼ぐ男性アスリートで、世界でもアジア男子初の偉業を何度も成し遂げてきた。体格もがっしりし、昨年の12月には結婚。もうすぐパパにもなる。4大大会優勝はないが、間違いなく歴史に名を残す日本を代表するアスリートになった。

それでも、笑うときに、ちょっと口をゆがめる癖は、子どもの時と一緒だ。会見で、疲れからあくびを連発するのも変わらない。テニスから離れたときのぐだぐだ感は、15年以上の付き合いでも、パパになっても決して変わらない。数字的な日本男子NO・1の座はいったん降りた。しかし、ここからが錦織の次のテニス人生なのだと確信している。【吉松忠弘】