陸上人生に悔いなし!

 高橋尚子(36=ファイテン)が28日、引退会見で「完全燃焼」を強調した。北京五輪出場の夢を失った後も、新たな目標に果敢に挑み続け、最後は燃え尽きた。97年の大阪国際でデビューして12年。国民的ヒロインは栄光と挫折のマラソン人生に笑顔で別れを告げた。

 高橋

 本日をもちまして現役引退を決意しました。中学から陸上を始めて多くの経験をする中で、いろんなことが台風のように過ぎ去って、今は台風の後のさわやかな風が吹いていると感じています。自分の中では完全燃焼して、さわやかな気持ちです。

 --なぜ引退を決意したか

 高橋

 3月の名古屋国際後に、3大会連続出場を目標に掲げたころは、引退は思ってもいなかった。でも8月ぐらいから(米国)合宿で思うような走りができず、プロ高橋尚子として皆さんの前に自信を持って堂々と出場できるかというと不安で、10月になってもその気持ちは変わらなかった。ファンラン(楽しんで走る)のようになってしまうなら、いったん引退してから、再び楽しんで挑戦しようと思うようになった。

 --きっかけは何か

 高橋

 足が痛いとか決定的な何かがあったわけではない。自分が納得いく走りができなくなった。精神的、肉体的にこれが限界なのかなと感じてきた。(レースに)出ればいいやという走りはしたくなかった。ただ(名古屋直後の)3月ごろに「そろそろ終わりかな」という感じでやめるよりも、「限界かな」というところまで挑戦できたことは、陸上人生に悔いなしと感じています。

 --3大会全部でなければ、万全な状態でどこかで走れたのでは

 高橋

 大会に出場するには、気持ちも肉体もひとつステージを上げたところで練習し、そこから下がらないようにしなくてはならない。時間があっても東京は無理だった。それが大阪、名古屋と後に延ばしたとしても、その状態に自分を追い込んでいけるかと言えば、同じことの繰り返しになる。

 --優勝しないとプロとしてダメという美学か

 高橋

 優勝を狙って、結果的に優勝じゃなかったというのはいいと思う。でもスタート地点に立つからには、やはり勝ちたいと思う。初めからもう無理だという気持ちであれば、退いた方がいいのかなと思った。

 --チームQのスタッフにはどのように話したか

 高橋

 眠れない日が続いた8月の終わりに、ジョギングの最中に話したのが最初。その時は弱音を吐くような形で言った。その後、マネジャーに話した時に「もういいんじゃないの。良くやったよ」と声をかけていただき、ふっと体が軽くなった。チームのみんなからは、こういうふうにやってこられてうれしいと温かいメールをいただいた。

 --アスリートの引き際をどう考えているか

 高橋

 引退は人それぞれだと思う。大きな偉業を達成して、華々しい中でやめられる方も素晴らしいと思うし、とことんやって完全燃焼で終わる人も、それぞれだと思う。自分としては、陸上が好きだということで続けてきた人生なので、こうやって完全燃焼できたことは納得がいっている。

 --「40位でも走る」というのが完全燃焼では

 高橋

 私は試合も練習も同じ気持ちでやっている。今までは今日は完全燃焼、明日も完全燃焼としてやってきた。それが今日もダメ、明日もダメとなって、たまっていく。試合までの過程でも試合と同じような気持ちでやってきた。どこが完全燃焼なのかというのは、人それぞれの価値観や見解の違いだと思う。

 --北京五輪は野口が欠場し、38歳のトメスクが優勝したが

 高橋

 野口さんの欠場はショックだった。ひと言声を掛けたいと思い、メールを書いたけど、アドレスが変わっていて、戻ってきてしまった。野口さんのことを考えると苦しい気持ちになった。38歳のトメスクさんが頑張ったことは素晴らしい。それで自分を奮い立たせようとしたが、立て直すことはできなかった。

 --励みになった歌はあったか

 高橋

 支えてくれたのは、B’zの「ULTRA

 SOUL」。一番きつい練習の時、何回も聴いて、その歌詞に励まされました。

 --小出義雄氏については

 高橋

 今あるのは小出監督が育ててくださったから。五輪で金メダルを取ったり、世界記録を出させてくださったりしたことは、とても大切な時間だったし、大切な方だった。でも、それ以降も自分のチームでたくさん学ぶことができた。自分の足で歩き、生きるという意味で、勉強させられた充実した3年間だった。たった4人のチームでもまとめていくのは難しいと思った。

 --両親には話したか

 高橋

 一昨日、帰ってきてから夜に電話で話した。驚かないでほしいけどと言って話したら、本当に穏やかに「よく頑張ったね」と言ってくれた。

 --一番の思い出は

 高橋

 振り返るとどこもいい思い出ばかり。アジア大会、五輪、ベルリンは大きな成果が出せて思い出深い。でも、自分の転機になったのは(マラソン)2回目の名古屋。成績を出せなかったらマラソンをやめようと思っていたので。

 --マラソンをやって良かったことは

 高橋

 日本人として五輪に優勝することができて、女子選手でも2時間20分を切ることができるということを証明できた。それを機会に記録が伸びて、それを契機にプロではない多くのジョガーが増えてたことは良かったと思っている。