教え子との距離は近くあれ-。花園で悲願の初優勝を遂げた大阪桐蔭の綾部正史監督(43)は「最強のモデル」を参考に、就任13季目で頂点にたどり着いた。7季前、大阪府予選決勝の1点差負けをきっかけに考え方を一新。春夏計8度の甲子園優勝を誇る野球部・西谷浩一監督(49、同監督での優勝は7度)の指導法に常勝のヒントはあった。

喜怒哀楽を強く出さない綾部監督の目に、涙があふれた。60分間を戦い抜いたCTB松山主将と握手をした瞬間「少し出ましたね…」。前半終了間際に3トライを許しても「ハラハラはしませんでした。自分たちの強みを出すだけですから」と表情は変わらない。実感こそないが「去年準優勝の結果が全て。それを越えタフな3年生になった」と自慢の教え子をたたえた。

保健体育の教師を目指して大体大に進み、母校大阪桐蔭のコーチを経て、05年秋に監督就任。だが06、08、10年度の花園で三たび3回戦を突破できなかった。翌11年11月13日、大阪朝鮮高との大阪府予選決勝。2点リードで迎えた試合終了間際の後半30分、相手PGを許し1点差で聖地を逃した。「選手にギャーギャーうるさく言っていたが、それじゃ、勝てないと自分で気付いた」。転機だった。

“教科書”は職員室の真向かいにいた。当時から高校野球の名将だった西谷監督と時に酒を片手に語り合い、部員への振る舞いを見て感じた。「モデルは野球部。今でこそ注目されているけれど、トップを取るまでに相当苦労されていた。野球部が本当に大好きで、チームとの距離感がすごく近かった」。個性を尊重する指導へ方針を変え、練習の合間には主力でない1年生とも、たわいもない世間話で笑う。監督就任1年目の06年度に主将だった山本健太コーチ(30)も「部員との距離が近い」と変化を口にする。

この日、ベンチからバックスタンドに座る西谷監督の姿が目に入った。「西谷先生は大きな体で手を振っていましたね」と笑わせた綾部監督は、充実感の漂った顔つきで「『やりましたよ!』と報告しようかな」と80メートルほど先を見つめた。【松本航】

◆綾部正史(あやべ・まさし)1975年(昭50)1月21日、大阪・八尾市生まれ。八尾東中でラグビーを始め、大阪桐蔭を経て大体大。現役時代のポジションはCTB。大学卒業後すぐに大阪桐蔭でコーチを務め、05年11月から監督。「(部員が)つばは吐く、ゴミは置いていく」ような状態からチームを作り上げた。家族は夫人と小4の娘。保健体育科教諭。

◆史上初のアベック優勝 花園で初優勝した大阪桐蔭は昨夏の甲子園でも日本一に輝いており、同じ高校が同一年度に甲子園と花園を制するのは史上初の快挙。90年度に天理(奈良)が夏の甲子園で優勝も、花園では準優勝に終わっている。夏の甲子園は第100回大会を終え、花園も今回が第98回大会。野球、ラグビーともに同じ高校が全国優勝する難しさは、長い歴史が証明している。