【スバ(フィジー)=松本航】ラグビー日本代表(世界ランク11位)が米国(同13位)を34-20で退け、5年ぶり3度目の頂点に立った。

9月2日のW杯登録メンバー締め切り前最後の実戦で、今季初テストマッチのFB山中亮平(31=神戸製鋼)が1トライ。11、15年と涙をのんだ男が、悲願のW杯へ決死のアピールを見せた。日本は3戦全勝で、世界ランク10位以内が確定。同20日開幕のW杯へ弾みを付けた。

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間近に臨む南太平洋を背に、山中が左手で高々とボールを放り投げた。前半終了間際の失点で、7点差に迫られていた後半2分。ゴール前10メートルでSO田村の内側へ返すパスを受けると、防御の合間をぶち抜いてインゴールに飛び込んだ。「準備していた通り。後半にトライを取れて、いい形にできた」。喜びを爆発させたトライが、4年ぶり優勝へ続く歩みを加速させた。

試合序盤には、緊張から相手キックを前方へ落とし「あんな落とし方は最近なかった」と焦りが生まれた。それでも直後の前半20分、ラックから転がったボールへいち早く飛び込み、攻撃権を再奪取。後半15分には左サイドを豪快に駆け上がり、勝負を決めるトライも演出した。「昔ならずっと引きずって、そのままプレーも悪くなる一方だった」。W杯メンバー発表前最後のテストマッチで、同じ過ちは繰り返さなかった。

「すごく自分にそういうの(W杯前最後の実戦)を言い聞かせ、プレッシャーを与えた。そうしないと、プレッシャーに勝てない」

13年前から日本を背負う存在と期待された。大阪・東海大仰星(現東海大大阪仰星)のSOとして、全国高校大会を制覇。早大では1年から大学日本一の原動力となり、4年で日本代表に名を連ねた。だが、神戸製鋼に入社した11年春。W杯まで残り4カ月の日本代表合宿中に、抜き打ちのドーピング検査で陽性反応が出た。「えっ、そんなことで!?」。ひげを伸ばすために使用していた育毛剤が原因で、2年間出場停止。先が見えない不安の中、W杯期間中も総務部の一員として午前9時から午後5時半までパソコンに向かった。

4年前はW杯直前にメンバー落ち。合宿地の宮崎から関西に戻る道中で「終わった…」と重圧からの解放が頭をよぎった。大きな転機は昨夏。転向したFBで神戸製鋼の日本一に貢献し、スーパーラグビー「サンウルブズ」でも自信を深めた。31歳での悲願成就へ、誰にも負けぬ執念がある。

「そこは(4年前と)全然違う。(W杯に)行きたい。今までやってきたことに、さらに磨きをかける」

ブラウン・アタックコーチは「(ニュージーランド代表)バレットを15番で起用する感じ」とし、FBとSOをこなす世界的スターに山中を重ねる。突破力、キック、パスと万能な元SOの存在は唯一無二。史上初のW杯8強へ、何度も沈んだ逸材が立ち上がった。

◆山中亮平(やまなか・りょうへい)1988年(昭63)6月22日、大阪市生まれ。14歳でラグビーを始め、東海大仰星高3年時に花園で優勝。早大では4年時に副将を務め、10年5月のアラビアンガルフ戦で日本代表初キャップ。11年に神戸製鋼入りし、18年に18大会ぶり日本選手権優勝に貢献。188センチ、93キロ。