<大相撲初場所>◇4日目◇11日◇東京・両国国技館

 大相撲初場所(東京・両国国技館)の4日目に、三役格行司の木村庄三郎(61=大島)が、大関把瑠都(27)が小結若荒雄(27)を送り倒した取組で巻き込まれ、土俵下へ転落し頭部を強打した。約5分間、意識はもうろうとし横たわったまま動けず、担架で相撲診療所へ運ばれた。その後、診療所で意識は回復したが、CTスキャン等の検査を受けるため救急車で病院へ運ばれた。

 行司が土俵下に転落し起き上がれず、そのまま担架で運ばれるハプニングが起きた。把瑠都の強烈な送り倒しに若荒雄が土俵を割る。若荒雄が倒れ込んだ拍子に右手が木村庄三郎に当たり、約60センチ下の床へ転落。頭部を強打した。土俵から約1・5メートルは力士が落ちた時のためにビニール製の床になっているが、革靴で歩けば音がする硬さ。衝撃を全身で受けたため、その外の木製のたまり席か、プラスチック製のスロープの端に打ちつけた可能性もある。

 周辺で観戦していたファンは「頭を床に打つ音が聞こえました」と心配そうに見守った。落ちたまま立ち上がれず、横たわる庄三郎のもとへ親方衆が集まる。意識の有無をチェックするが頭を打っているため、無理に動かすことは禁物。車いすも用意されたが、約5分後に医師が付き添い、担架で運ばれた。

 両国国技館内にある相撲診療所で診察を受けた時には呼び掛けにも反応し、意識は戻ったが記憶にない部分もあった。念のためCTスキャンなどの検査を受けるため、午後6時40分に救急車で都内の病院へ運ばれた。

 木村庄三郎に代わり、次のさばきを待っていた木村玉光が勝ち名乗りを呼び上げた。この取組に勝った把瑠都は「せっかくいい相撲を取ったのに。かなりびっくりしました。すぐに(土俵に)戻ってくると思ったけど、たまにありますからね」と勝利の余韻には浸れなかった。

 敗れた若荒雄も支度部屋に戻るや「大丈夫かな」とつぶやいた。取組を控え、至近距離で目撃した豪風は「初めて見ました。一緒に落ちていったように見えた」と振り返り、その2席隣の豊ノ島は「意識はあるんですか?

 最初は息が詰まっているのかなと思った」と稀勢の里を破りながらも神妙な顔だった。

 木村庄三郎は08年10月、内臓疾患で手術を受け同年九州場所を休場している。その後、病から復活し土俵に上がり続けていた。

 関係者は「病院に搬送されてからは、忘れていた一部の記憶も戻り始め回復しつある」と話した。転落した付近に、搬送された病院の医師が観戦中で迅速な対応が取られた。

 検査後は自宅へ戻り、今日5日目は様子をみて決める見込み。2日連続の5大関安泰から一転、この日は2大関が敗れる波乱の1日。そこに行司が運ばれるというハプニングも加わり、館内のざわめきは結びの一番が終わっても収まらなかった。【高橋悟史】

 ◆行司の主な受難メモ

 00年初場所には幕内格以上が次々と休場した。立行司の式守伊之助が肝機能障害、式守与之吉が右足骨折。さらには木村信孝が4日目の打ち出し後、雨の帰路で転倒して顔面と両手を強打したため5日目から休んだ。また09年九州場所4日目には三役格行司の木村玉光が右肋骨(ろっこつ)を骨折。千代大海-豪栄道を裁いた際、千代大海ともつれるように土俵下へ転落した。5日目から休場。