<卓球:世界選手権>◇6日目◇3日◇男子ダブルス準々決勝◇横浜アリーナ男子ダブルスで第3シードの水谷隼(19=明大)岸川聖也(21=スヴェンソン)組が、同種目で日本男子12年ぶりのメダルを獲得した。準々決勝で第6シードのガオ・ニン、ヤン・ツー組(シンガポール)と対戦し、終盤の「疑惑の判定」も乗り越えて4-2で競り勝った。3位決定戦がないため、97年大会銅の渋谷浩、松下浩二組以来のメダルが確定。4日の準決勝、決勝で48年ぶりの世界一に挑む

 2人の思いを込めたボールが台のエッジ(端)をかすめて落ちた。水谷と岸川がお互いを見つめ合う。ダブルス結成から約5年で届いた悲願のメダル。笑顔がはじけ、抱き合った。

 水谷は振り返る。「2年前の世界選手権も北京五輪も、あと1勝でメダルを逃した。その悔しさで今日メダルを取れた」。特に岸川は同五輪で勝てばメダル獲得の団体準決勝ドイツ戦で惜敗。その後の敗者復活戦でも敗れ、涙を流した。「あんなに勝ちたかった試合はなかった」(岸川)。もう悔し涙はいらなかった。

 集中力が途切れかけた。勝利をかけた第6ゲームの8-9。水谷の中央からのリターンが台のエッジに当たった。同点と思いきや香港人の主審は台の側面に当たったと判定し、8-10。男子代表の宮崎監督が「台の中から打って外に流れたボールがサイドに当たるわけがない」と猛抗議。試合前から中国出身選手との対戦で香港人の主審が裁くことで大会側に変更を求めたが却下され、不穏だった。大型モニターでは何度もリプレーされ、10分間中断したが判定は覆らなかった。

 だが2人の心は折れなかった。「審判の言うことを最後は信じないと」(岸川)。水谷は「5-10から8-10に追い上げたと考えよう」と岸川に声をかけた。そこから怒とうの2点連取で同点に追いつき、勝利の流れを手繰り寄せた。

 2人は「戦友」だ。水谷は中2から、岸川は中3から協会主導でドイツに留学。ホームシックの水谷は母万記子(47)さんに、話すことがなく無言電話のようになっても毎日電話をかけ続けた。岸川はそんな弟分と異国のアパートに同居し、励ました。月日を積み重ね、パートナーとして同化。代表合宿でも同部屋で岸川の寝つきが悪い時は自然と水谷も寝られない。水谷が早起きしてテレビで世界選手権の特集を見ようとしたら、岸川も同じ番組を見ようとしていた。あうんの呼吸を発揮するようになった。

 銀なら40年ぶり、金なら48年ぶりの快挙。水谷は「勝算は10%。でもこの2人ならその10%ができる」と言い切った。最低目標はクリアし、準決勝からはメダルを輝かせる戦い。世界一の可能性を感じさせるペアだ。【広重竜太郎】