10月27日、東都大学野球リーグ戦、亜細亜大の優勝が決まった瞬間、選手たちに涙はなく、皆、笑顔でした(対国学院大戦、5対2)。ドラフト翌日、「優勝してみんなで笑いたい」そう言っていたキャプテン、北村祥治選手(遊撃・4年)の言葉通り。全員が笑顔でその優勝を喜びました。

 22日には藤岡裕大選手(三塁・4年)、北村選手がドラフト指名漏れで涙。昨年5月には、先発で活躍していた花城直選手(投手・4年)が国指定の難病、黄色靭帯(じんたい)骨化症で手術。この最終戦は、傷だらけの4年生が心を一つにして戦った1戦でした。

亜細亜大の選手たち。全員、笑顔の優勝でした!
亜細亜大の選手たち。全員、笑顔の優勝でした!

 「今日の試合は、野球が好きな方が勝つ。最後は完全燃焼。野球が好きな気持ちを、思い切りグラウンドで表現してこい」

 この日、生田監督はそう言って選手たちを試合に送り出しました。

 9回1死一二塁からマウンドに立ったのは、花城直選手(投手・4年)。

 「直、オマエが一番、野球が好きだろ? 行ってこい! と監督に背中を押されて、思い切っていけました!」(花城選手)

 昨年5月、黄色靭帯骨化症で手術。チーム全員でエールを送るビデオレターと、学年ごとにメッセージを書いてくれた色紙を贈られ、それを支えにリハビリに励んできました。当時、「周りの人が応援してくれている。大好きな野球を簡単にはあきらめません。絶対にグラウンドに戻って、元気に投げている姿を見せたい」と、よく話してくれました。

 その言葉通り、見事に復活。躍動感あふれるピッチングで0点に抑え、優勝の輪の中心でガッツポーズを見せました。


 「早かったのかなぁ…遅かったのかなぁ…。どちらにしても、中味が詰まった1年半でした」(花城選手)

 昨年、退院直後、チームメートが練習する姿をそばで見ながら、「早く動きたい、早く練習したい」と馳せる気持ちを必死に抑えました。昨夏、復帰当初は、思い通りに体が動きませんでした。自分ではパッと反応して動いているつもりでも体が付いてこない。頭と体の動きが合わない。昨秋、ピッチングを始めた当初は、何度も何度もフィールディングで転んでいたといいます。

 「自分はここまで動いていると思っているのに、全然動いていない。ベースカバーがいつも遅れてしまいました」(花城選手)

 地道な練習を積み重ね、現在は体のしびれはなく他の選手と同じメニューをこなしています。投げ込みも200球~250球も投げられる状態まで復活し、中継ぎ、抑えで今春は8試合に登板しました。しかし、春のリーグ戦中は、持久力と瞬発力が足りず、投げていると下半身の動きが鈍くなり、オーバーワークになると足の震えが起こることも。量をこなす練習から、質の高い動きを重点的にこなす練習に切り替え、夏は体力作りに取り組みました。投球の幅を広げるために、落ちる球、スプリットを習得。この秋も中継ぎ、抑えに徹し6試合に登板しました。


 「今はプレーができている。生きていること、野球ができていることが当たり前じゃないというのが分かった1年半。今は1日1日を大切にしようと思っています。キツイこと、つらいことがあると、去年の手術こと、リハビリを思い出すんです。あらためて、今は幸せだなぁって思います」


 黄色靭帯骨化症と診断される前は、下半身の感覚がほとんどないこともありました。自分の目で見て、手で確認しなければ、今足がどこにあるかわからないときも。朝、起きてすぐの一歩目が立てない。壁に手を置いて立ち、少し時間を置いてからでないと歩けない。長時間座った後は支えがないと立ち上がれない。当時は、病気とわからず練習にも普通に参加。「転ぶのが分かるから、ウオーミングアップで全員で走る時が一番怖かった。思うように動かない足に、毎日、悔しい思いでいっぱいでした」


 手術後の支えになったチームメートが折ってくれた千羽鶴と色紙は、今もロッカーに飾り“頑張ろう”と思う時には必ず見て気持ちを奮い立たせています。このチームメートとでなければ、花城君の復活はなかったかもしれません。

 「藤岡も北村も、ドラフトの指名がなかったときは頭が真っ白になったと聞きました。自分が病気を宣告されたときと同じです。右も左もわからずに道に迷いそうになった。でも、仲間に導かれてここまで来られた。本当によかったです」(花城選手)

 難病を克服し、チームのために活躍できた今。その笑顔がとってもまぶしく見えました。


 「苦しいときに支えてくれた同級生は一生大切にしていきたいです。本当、感謝しかないです」と、試合後、笑顔で話してくれた藤岡選手。


 共に苦しみ、泣き、共に喜び支えあう。今どき、熱すぎる? いえ、その熱いハートがあったからこそつかんだ頂点。選手たちの涙を、最高の笑顔にかえた優勝でした。

左から花城直選手、諏訪洸選手(投手・3年)、先発石塚選手から、諏訪選手、そして花城選手への継投でつかんだ優勝でした!
左から花城直選手、諏訪洸選手(投手・3年)、先発石塚選手から、諏訪選手、そして花城選手への継投でつかんだ優勝でした!