広島鈴木清明球団本部長(62)の予感は現実となり、新井貴浩内野手(39)は広島に復帰。そして金字塔を打ち立てた。鈴木は新井とすごした時間を「愛憎」と表現する。復帰に際しては親戚からも「何で今さら」と言われたこともある。だが憎しみの半面で愛情も同じくらいあった。不変の人間性にほれていた。

 「いじられるし慕われる。これだけの選手でおごらない。まあ、格好良くはないんだけど。2度と出てこないタイプかもしれんな」。いつの場面を振り返っても、新井が偉業を達成することは想像出来なかった。「あの新井がね。まさかよ」。家出息子を温かく迎え入れたこちらも不変。鈴木は屈託なく笑った。

 先代オーナーの松田耕平氏(享年80)も鈴木と同じ気持ちだろう。新井が育つ土壌は広島にしかなかった。鈴木は「あの言葉通りの選手」と言う。球団の生きざまを表現する言葉がある。

 たたかれて

 たたかれて

 つよくなるのだよ

 松田オーナーが生前、寺の住職から授かった言葉だという。額に入れられた詩は現在オーナー室と、主に若手が過ごす大野寮の食堂に飾られている。「よく見ていた。心に残っている」と新井も思い出す。広島にとって補強に頼らない自前の選手育成は義務だった。入団直後のノックで、球団幹部を「なんじゃこのスローイングは」と驚かせてしまうほどの選手。だが笑われ、しかられ、たたかれて強くなった。

 見込まれれば我慢してでも徹底的に鍛えられた。応えるのも新井だ。初出場の02年の球宴では本塁打を放ち優秀選手賞を受賞。3日前に他界していた先代の松田オーナーに「つよくなった」姿を見せたこともあった。新井はいつも感謝を忘れない。そしてユニホームは泥だらけだ。これまでも、これからも。(敬称略、おわり)