覚せい剤取締法違反(所持、使用、譲り受け)の罪に問われた元プロ野球選手清原和博被告(48)に東京地裁(吉戒純一裁判官)は5月31日、懲役2年6月、執行猶予4年(求刑懲役2年6月)の有罪判決を言い渡した。清原被告が求めた薬物依存症更生プログラム付きの保護観察処分は「自ら治療は十分できる」と退けた上で、覚醒剤の関係者と縁を切り、治療機関などで回復を目指すよう求めた。清原被告は目を赤くして傍聴席に謝罪。関係者によると、清原被告は近く故郷の大阪に戻り、依存症治療に入るという。

 「心が弱くなったら、お父さんの手紙を読み返してください。医療機関で治療を受けてください。覚醒剤の関係者ときっぱりと縁を切ってください。そして、息子さんたちのために、あなたが誓ったように、人の役に立つ存在になることを期待しています」。裁判官の言葉を聞き、清原被告は一礼した。そして突然、傍聴席に向き直り、しっかりした声で「このたびは誠に申しわけありませんでした」と頭を下げた。目は赤く潤んでいた。

 判決後は、知人男性の運転する車で都心のマンションに入った。清原被告の関係者によると、近く故郷の大阪府岸和田市で両親に謝罪し、大阪で薬物依存症の専門治療を受ける方針という。ただ、この日は司法クラブが求めていた会見も行われず、3月17日の保釈時には発表された本人のコメントも、発表されることはなかった。

 清原被告は、初公判と同じ紺色のスーツに白いワイシャツ、青のネクタイ姿で出廷した。「懲役2年6月に処する。執行は4年間猶予する」。判決を受けると、姿勢を正し、小さく一礼。腰の前に手を合わせ判決理由を聞いた。

 裁判官は、執行猶予の理由について「甲子園を沸かせ、プロ野球を代表する打者として活躍した」と球界での功績を挙げた上で「大きく報道され、社会的制裁も受けた」と説明した。清原被告は薬物依存症の治療プログラム付きの保護観察を求めていたが、「自ら治療が十分にできる」と突き放し、保護観察なしの自発的更生を求めた。

 今後に向け、裁判官から「覚醒剤をやめることは、お分かりのように容易なことではない。しかし、あなたは決して1人ではない」と言われると清原被告は大きくうなずいた。

 清原被告は初公判で、父の手紙の朗読や息子たちのことを問われた際、何度も涙を流した。ファンやプロ選手を目指す子どもたちに謝罪の思いも口にした。「野球を更生に利用するのは野球に失礼」としながら「いつか野球にたどり着ければ」との思いも漏らした。

 岸和田では、清原被告のために寛大な処分を求める480人分の嘆願書を集めた有志たちが待っている。しかし、一般社会に戻れば、覚醒剤再使用への誘惑は、法廷で流した後悔の涙を上回るかもしれない。父、息子たち、野球、そして「キヨハラ」に憧れたファン。わずかに残された大切なものを、再び裏切らないために何をすべきか。その具体的な道筋を清原被告はまだ、示せていない。

 ◆清原被告と岸和田 清原被告は生まれも育ちも岸和田市で、1974年に岸和田市立八木南小に入学して野球を始め、岸和田リトルリーグに入団。現役時代は、岸和田市の代名詞でもある勇壮な祭り「だんじり祭り」が行われる、9月に好調であることから「だんじり男」「だんじりファイター」とも呼ばれた。

 ◆岸和田市 大阪府泉南地域に位置する人口約20万人の市。岸和田藩の城下町として発展。明治以降は紡績やれんが製造で栄えた。岸和田の代名詞「だんじり」は、1703年(元禄16)に城内に京都の伏見稲荷を分祀(ぶんし)した際、五穀豊穣(ほうじょう)を祈って行われた稲荷祭が起源といわれている。清原被告は、現役引退後の11年に漫画雑誌「ビジネスジャンプ」(集英社)の連載漫画「だんじり」の監修を担当。ただ、今回の事件を受け、04年に市から贈られた「市民栄誉賞」の剥奪論争が起きている。