侍ジャパンに、時には電話番、またの時はシンガー、そして大舞台でのリリーバーの三刀流侍がいた。巨人田口麗斗投手(24)は世界一に輝いたプレミア12の裏MVPだった。

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“ラストサムライ”から世界一にがっちり加わった田口が、ブルペンの重要な役割を担っていた。侍ジャパンの13投手で唯一、台湾での1次ラウンドで登板がなかった。初登板は帰国後のスーパーラウンド初戦の11日オーストラリア戦。5回から1回無失点と、逆転勝ちへの足がかりをつくった。登板前は「自分が投げる投げないは関係ない。言われたところで投げる。役割をまっとうしたい」と終始、遠慮がちだった。

「電話機の前が僕の定位置。ブルペンでベンチからの電話に出るのは僕の役割だった」

過去のオリンピック(五輪)ではブルペンにコーチが入れなかった。選手もしくはブルペン捕手が、ベンチの指示を受ける必要がある。村田善バッテリーコーチは「五輪本番を見据えたシミュレーションの意味合いもあった」と説明。田口が電話を受け、ベンチに準備の状況や、登板に向けた指示を伝える役割を担っていた。

「もう少し時間がかかりそうだったら、そのまま伝えますし、次に投げる投手には準備を始めるように伝えたりもします」

勝ちパターンは甲斐野、山本、守護神山崎が確立された。先発投手は次回登板に向けた調整、休養を優先。13番目の投手の位置づけだった田口が“電話番”を兼務した。とはいえ、選手でメンバー入りしていることが大前提。「電話に出て『田口、今から作ってくれ』って言われたときは焦った」と直接電話を受けたこともあった。

16日韓国戦では2点差の9回に登板し、初セーブ。連投の17日決勝は、先発山口が早々に降板した後の4回から3番手で登板し2回無失点だった。「決勝は山岡が電話番でした。試合前から投げる可能性があると言われていたので」と照れくさそうに明かした。

期間中は同僚の誕生日にバースデーソングを大声で熱唱した。序盤は登板がなく悔しい思いもあっただろう。でも明るくキャラを貫き「ONE TEAM」の精神でサポートした。「登板がなかったときも悲観的なことは何もなかった。リリーフの肩の作り方とかブルペンでの過ごし方とか勉強になった。学ぶことはたくさんあった」と世界一の輪に加わっても謙虚な姿勢は変わらない。3試合で4回無失点、1セーブにプラス電話番。「好調ブルペン陣形成」に田口の働きがあった。【為田聡史】