<阪神4-3横浜>◇29日◇京セラドーム大阪

 待望の1勝だ。阪神の3年目左腕、岩田稔投手(24)が、横浜戦でプロ初勝利を飾った。6回を6安打1失点。3回1死満塁では、強い気持ちで4番村田、5番佐伯を連続三振に打ち取った。希望枠入団で即戦力と期待されたが、昨年もあと1人で勝利投手の権利を得るところで降板するなど、課題だった精神面。この日は自らピンチを断ち切り、克服してみせた。そんな岩田を金本が猛打賞で、鳥谷が美守でアシスト。岡田監督にとっても開幕2連勝と同時にうれしい、若手先発左腕の開花となった。

 生きざまを表す108球だった。岩田は力の限りに左腕を振り抜いた。1点リードで迎えた3回。1死後の3連打で満塁のピンチを背負う。昨季の本塁打キング村田は、宝刀スライダーで空振り三振に打ち取った。続く佐伯に対し、ストライクが入らない。カウント0-3。今までならおじけづいていた。しかし岩田はより強く「攻め」の気持ちにシフトした。

 岩田「多少、開き直って『打てるもんなら打ってみろ』という気持ちでした。2回に1点取られて、これ以上は、絶対に点をやらないつもりで投げました」。

 ストレート2球でフルカウント。最後も全力で速球を投げ込んだ。ど真ん中だったが、気迫が勝った。空振り三振に仕留め、ピンチを脱した。人生の逆境に耐え抜いて、強靱になったハートを、勝負どころで見せた。

 大阪桐蔭高2年の冬。岩田はマウンドではなく、病室にいた。00年末に「1型糖尿病」を発症。病名を告げられ、1度は野球をあきらめた。「終わった、と思いました。病気って動いてはいけないイメージがありましたから」。個室のベッドに横たわり、絶望感にとらわれていた。

 何もできない1週間の入院生活。同校の西谷浩一監督が、毎日のように病室に顔を出してくれた。あるときはダンベルを持ってやってきた。「これで練習しておけ!」。その言葉に救われた。「練習後に毎日、ユニホーム姿で見舞いに来てくれたんです。ありがたかったですね」。同じく糖尿病を患いながら巨人などで活躍したビル・ガリクソン投手の本も読んだ。

 岩田「(医師から)動くほうがいいと聞いたときはうれしかった。頑張ればできるんだということを伝えたいと思っています」。

 プロで3年目を迎える。昨季は7月28日横浜戦(甲子園)で悪夢を見た。5回2死、勝利投手の権利まであと1人。しかし岩田は内野安打や四球を連発して自滅。マウンドから下ろされた。その屈辱が今に生きる。この日の5回は上位打線を3者凡退に仕留めた。「絶対に忘れないようにしています」。プロ最長の6回を1失点。その後はリリーフ陣が、野手が「勝利の権利」を守ってくれた。ついにつかんだプロ初勝利。それは自信となった。

 岩田「去年だったら、簡単に押し出し。打者と勝負できてなかった。今年は不利なカウントでも打者と勝負できています」。

 藤川から手渡されたウイニングボールは昨年結婚した美佳夫人にささげる。初体験のお立ち台。金本と並んで立ち、うわずった声を発した。金本から「ひやひやしながら見てました」といわれ、ようやく表情が緩んだ。冬のあとには必ず春が来る。貴重なサウスポーが3年目の「開花宣言」だ。【酒井俊作】