<巨人1-2阪神>◇5日◇東京ドーム

 フルスイングでつかんだ勲章だった。巨人小笠原道大内野手(37)が8回、小林宏から中前打を放ち、プロ野球史上38人目の通算2000安打を達成した。残り11本で開幕を迎えながら、達成まで17試合を要した。それでも史上4位のスピード記録となった。高校時代は本塁打0本。努力を継続して3割を超える生涯打率をマークしつつ、大記録を打ち立てた。「ガッツ」が球史に名を残した。

 打球が二遊間を突き抜けた瞬間、小笠原は「よしっ」とつぶやいた。8回1死。「負けていたから、何とか出塁しようという気持ちで立った」。1ボール2ストライクからの4球目144キロは内角高めの厳しい球。初安打から5108日間続けてきたように、ボールにバットを的確にコンタクトさせた。一塁に着くと、「ふーっ」と息を吐いた。キャッチボールの相棒でもある坂本、守備に就いていた阪神新井貴からも花束を受け取ると、360度に、深々と頭を下げた。「巨人ファンだけでなく、阪神ファンの人たちも祝福してくれた。感謝の気持ちでいっぱい。それだけすごい記録なのかなと思いました」と、大記録の重みを実感した。

 「運がある」。自らの野球人生をこう表現する。「周りの人たちが一生懸命動いてくれて、ある意味、レールが敷かれてあったのかな」。暁星国際高時代は本塁打0本だったが、恩師・五島監督が「30本ぐらい打ったんです」と社会人チームにアピールしてくれていた。日本ハム時代のコンバートも、当時のコーチだった古屋氏が「失敗したら自分が責任を取る」と進言していた。そんな事実を、後に知った。2人に共通するのは「真面目で努力家」という小笠原評。「いろんな人が協力してくれて、挑戦の場を与えてくれた」(小笠原)。実直さと真摯(しんし)さが、周囲を動かしてきた。

 さだめをも動かした。1996年のドラフトで、日本ハムに3位で指名された。指名順が後だった巨人も「小笠原道大」の名前を3位の指名用紙に記していた。小笠原は、日本ハムのユニホームに袖を通した。入団3年目での内野手転向を契機に才能を開花させ、日本を代表する強打者に。ドラフト会議から約10年の時を経て、06年オフにFAで巨人に移籍した。日本ハム山田GMは「本人も、もしかしたら、頭の中に『巨人でやりたかった』ってのがあったかもしれないよね」と言う。運命が微妙に交錯する、不思議な縁。プロ入りしたときに本拠地だった場所で、違うユニホーム姿で大記録を達成した。

 それでも小笠原は何も変わらない。「投げてくるボールに対して集中して打っていく。それの、毎打席の積み重ねだね」。高校時代から、グラウンドには最初に来て最後に帰った。5つしかないティー打撃用ネットを真っ先に確保した。五島監督が「まさかプロに行くとは」と振り返るように、天才肌ではない。順風満帆でもない。だが、運のひと言では片付けられない。今季は思うように安打が出ず「なかなか貢献できず、歯がゆいのはあった」。それでも「後悔はしたくない」と、日々の積み重ねを怠ることはなかった。「長い人生、順調にいくばかりではない。こういう経験を生かさないといけない」と、今回の苦労も教材にするつもりだ。

 試合終了直後、悔しそうにロッカー室へと消えた。チームが敗れたからだ。「みんなはその先(3000安打)を期待しているんでしょうが、そこに1本でも近づければと思いますが、今年のチームの優勝が一番です。そのために1本でも多く、シーズンを過ごしていきたい。チームの勝利が一番」。チームの勝利のために打ちたい-。向上心とフォア・ザ・チームの精神は尽きない。ガッツのゴールは、はるかかなたにある。【浜本卓也】