機動力野球でかき回す!
広島緒方孝市監督(46)が、日刊スポーツ新春インタビューでスタートダッシュを誓った。13年ぶりの本拠地開幕でのロケットスタートに照準を定めている。チームづくりにおいては、自身も現役時代に務めた切り込み役の1番打者をカギに挙げた。チームは昨年末にヤンキースからFAで黒田が復帰。前田とのダブルエースでリーグ屈指の投手力となった。機動力満載のカープ野球をフル稼働させ、24年ぶりの悲願Vへと突き進む決意を語った。
-久々にホームで開幕を迎える(注1)
緒方監督
金土日か。もう3連戦は超満員だと思うんでね。ファンの期待も高いと思うし。やっぱりいいスタートを切らないと、シーズンの中盤以降の戦いは苦しくなっていく。スタートダッシュできるための、準備をしていきたい。
-スタートダッシュへ、春は競争になる
緒方監督
2月はベテラン、外国人選手はそこまでの競争じゃないけど。ただ、3月に入ったら横一線。本番に向けて、まず使えるのか使えないのか。チームの目標としての開幕ダッシュに向けてね。3月は、いい段階、いい調整で入っていけるかという見極めになっていくから。
-機動力を前面に押し出している。グリーンライト(注2)を与える選手もいる
緒方監督
完全にフリーにするわけじゃなくて、ある程度自由にしたなかでの拘束はつけようと思う。選手は試合にグーっと入っていったときに、周りの展開をよめない場合もある。そのときにストップかけてやるとか、逆に背中を押してやるとか。サインのなかで動かしていこうかと。作戦上のことだから言えないこともあるけどね。もちろん走力というのは高い意識を持ってやってもらいたい。
-走れるのに、と感じることもあった
緒方監督
ゲーム展開の駆け引きもある。そういうのが若い選手が多いなかですべて分かるかと言われれば、分からない部分もあると思う。走っちゃダメだよというサインのなかで、なぜそれを出したか。その意図を後から説明して、教えることによって、また野球をどんどん知っていってくれたらいい。
-監督自身も1番打者だった。機動力野球で先頭打者の役割は大きい
緒方監督
ここが一番考えどころかなというところかな。そこは調子を見て、何人かは適性をみて試していこうかな。
-1番候補は
緒方監督
5、6人はいるよ。キク(菊池)、丸、田中、鈴木誠也だってそう。野間だって力は未知数だし、去年だと堂林がいた、まだ赤松がいる、とか。去年みたいに外国人も起爆剤としてあるかもしれない(注3)。ぱっと言っただけで7、8人はポンと出る。打順は1番から考えなくてもいいんだけど。4番を固定して前後から、という考え方はあるにしろ、候補にしたらそれだけいる。
-誰かが抜けてくれば
緒方監督
理想から言えば相手の左右にかかわらず、打線は固定したい。キクマルに続く、いわゆるレギュラーと呼ばれるところは1人でも多く作りたいところでもある。そうすれば自分の出番、出るタイミングというのがいろんな形で分かってくるから。
-監督自身の振るまいは?
会見では三村氏(注4)の名前が出た。
緒方監督
直接ミムさんから聞いたわけじゃないけど、よかった、すごかった、こういうところがやりやすかった、といういろんな話は耳にしているからね。まねしようとは思わないけど、いいものはいいで自分のなかで落とし込んでいけばいいと思っているから。
-少しずつスタイルを築き上げる
緒方監督
どれが一番いいのか、というのは経験してみんと分からんしね。秋やったようなスタイルで春もやっていくだろうし、気付かされることも出てくるだろうし。
-気持ちの強い選手を作りたい
緒方監督
技術の差はある程度試合に出て、経験している選手は、他球団を見てもそんなに差はない。そこで紙一重のところで勝ちきる、技術を出すか、というのは気持ちというかしっかりした準備、備えそのなかでグラウンドで臆せず出せるかというところでね。そこらへんがすべて。
◆緒方孝市(おがた・こういち)1968年(昭43)12月25日、佐賀・鳥栖市生まれ。鳥栖高から86年ドラフト3位で広島に入団。95年から5年連続ゴールデングラブ賞、3年連続で盗塁王を獲得。99年には3割30本塁打を達成。09年に現役を引退し、10年から野手総合コーチ、守備走塁コーチなどを務める。181センチ、80キロ。右投げ右打ち。
◆注1
今年の開幕戦は3月27日ヤクルト戦(マツダスタジアム)。02年以来の地元開催で、マツダスタジアムでは開場以来初となるオープニングゲーム。
◆注2
「青信号」を意味するサインで、走者に「いつでも盗塁を仕掛けていい」という意味を持つ。昨季の広島ではほとんど与えられず「この1球で走れ」を意味する「ディスボール」のサインが多かった。
◆注3
野村前監督は14年にロサリオを5試合、1番打者として起用。打線の流れが悪いときの起爆剤の期待がこめられていた。
◆注4
広島で66年から83年までプレーし、5季に渡って監督を務めた三村敏之氏(享年61)。緒方監督が師と仰ぎ、就任会見では「怒られてばかりだったが、野球をしっかりと教えてもらった。辞められる最後に『いい選手になったな』といわれた言葉が残っている」と話した。