アントニオ猪木が、70歳になった。今日20日、古希を祝うパーティーが都内のホテルで行われる。いまだに日本の格闘技界のトップに君臨する猪木は、精力的に世界を股に掛けて動き回る。「一寸先はハプニング」と人生を楽しみ、プロレス外交に意欲を燃やす。アントニオ猪木、とどまることを知らず。
70歳とは思えない「元気」のオーラを出しながら猪木は言った。
「じいさんがブラジルに渡ったのは77歳。オレは14歳で横浜から一緒について行った。おじいさんの年までは生きたいなと思うんだよ」
今年は唯一の師と仰ぐ力道山の没後50年に当たる。ジャイアント馬場さんが亡くなり、当時の弟子は、グレート小鹿(70)ら数人しかいない。戦後間もないころの日本人を励ました力道山の遺伝子を引き継ぎ、高度経済成長の最中、プロレス界をリード。アリをはじめとする異種格闘技で、その名を世界にとどろかせた。
1983年、スポーツ界の所得NO・1に輝き、国会議員も経験した。50億円の借金を抱え、国交のない北朝鮮でプロレスもやった。「やりたいことやってきた。思い残すこと、やり残したことはないけど、もう少し生きたいな」と言う。
ジャイアント馬場への強烈な対抗意識があったからこそ、今の猪木がある。全日本プロレスの試合は見たことがない。それでも「馬場さんのことをオレが言い続けていかないと、あの人のことを忘れられてしまう」と、思い出を語った。
今後の目標について猪木は「プロレス外交」を挙げた。今年は中国興行も計画。キューバへの冒険旅行の夢もある。北朝鮮でプロレスをやったとき「日本人に対する感情が一夜にして変わった」という成功体験が後押しする。「迷わず行けよ。行けば分かるさ」。古希に達しても猪木の前に“道”は広がっている。【桝田朗】

