「ミスタープロレス」天龍源一郎(65)が現役引退を決意したことが7日、明らかになった。明日9日に都内で会見し、正式表明する。関係者によると、11月に東京・両国国技館で引退試合を行う方向で調整を進めているという。大相撲から76年10月に全日本プロレスに入団。相手の攻撃を受けきり、力でねじ伏せる戦いで一時代を築いた名レスラーが、約39年間の現役生活に別れを告げる決断を下した。

 天龍がリングへの別れを決めた。今月に入り近親者に引退の意向を伝えていたとみられ、戦える状態のままの幕引きを選択した。関係者によると、3月、4月、5月には自身が率いる天龍プロジェクトの興行に出場し、その後も数大会を追加する予定だという。11月に東京・両国国技館で引退試合を開催する動きもあり、新日本や全日本などに出場選手などの協力を要請する可能性もある。

 76年秋場所を最後に角界を去ると、まげ姿のまま米国でテリー・ファンク、ドリー・ファンクJrの指導を受けてプロレスの基礎を学んだ。81年7月にビル・ロビンソンと組み、インターナショナルタッグ王者のジャイアント馬場・ジャンボ鶴田(いずれも故人)組に挑戦した試合でブレーク。その後もライバル鶴田と名勝負を展開し、3冠ヘビー、世界タッグ王座を獲得するなど団体をけん引した。

 最大の魅力は真っ向勝負の戦い方だった。大きな体で相手の攻撃を受けきると、フラフラの状態で力の限りの技を返した。プロレスの奥深さを体現するとともに、顔面へのサッカーボールキック、延髄斬りからの強烈なパワーボム、逆水平チョップを駆使し、強さの象徴として時代を作った。また、昔かたぎのおとこ気ある性格で、関係者からの人望も厚かった。

 全日本退団後も、活躍の場は多くの団体に広がった。99年12月には新日本のIWGPヘビー級王座を史上最年長の49歳10カ月で獲得。89年11月に馬場、94年1月にはアントニオ猪木から直接フォールを奪い、馬場、猪木からスリーカウントを奪った唯一の日本人レスラーとしても名をはせた。

 10年4月に「天龍プロジェクト」を立ち上げるも、11年12月に受けた腰部脊柱管狭窄(きょうさく)症の手術により、プロ入り初となる約1年間の長期欠場を余儀なくされた。今年1月31日には全日本が開催した馬場さんの十七回忌追善大会に出場。得意のグーパンチを披露するなど、元気な姿で会場を盛り上げたばかりだった。愚直なファイトでファンを魅了し続けてきた39年間-。ラストイヤーに、大暴れを期待するファンは少なくない。

 ◆天龍源一郎(てんりゅう・げんいちろう)本名・嶋田源一郎。1950年(昭25)2月2日、福井・勝山市生まれ。63年12月に13歳で大相撲の二所ノ関部屋入門。64年初場所で初土俵を踏み、73年初場所で新入幕を果たす。幕内通算108勝132敗で、最高位は前頭筆頭。76年10月に全日本入り。90年に離脱し、SWSに移籍。WARを経てフリーに。WJ、新日本、ノア、ハッスルなどにも参戦した。獲得タイトルは、3冠ヘビー級、世界タッグ、IWGPヘビー級など多数。得意技はDDT、ラリアット、グーパンチなど。