吉永小百合(70)嵐メンバー二宮和也(32)が11日、初共演映画「母と暮せば」(山田洋次監督、12月12日公開)のラストシーンを長崎市内で撮り終えた。「かわいい息子」「優しいお母さん」と本物の親子のごとく言葉を交わす2人に、山田監督は「恋人に見える」と目を細めた。

 吉永と二宮は常に寄り添っていた。ステンドグラスを通し、七色になった日光を浴び、笑みを交わし続けた。4月27日のクランクインから2カ月半、二宮と親子を演じた思いを聞かれ、吉永はほおを赤らめた。

 「初めて会った日から、もしかしたら本当の私の息子じゃないかと思うくらいピッタリと寄り添うことができた。かわいい息子。お芝居もしなやか。どんな状況でも、あまり力を入れずすばらしい存在感。いつも引っ張ってもらいましたし、こういう息子に出会えて本当に良かった」

 撮影前、山田監督を交えて食事をして、親子関係を作り上げていった。二宮は、役作りのために「幼少時の写真を貸してほしい」と頼んできた吉永に導かれたと語った。

 「久方ぶりに小さい頃の写真を見ました。そういうところから始まった親子の関係でした」

 その上で、吉永に抱き締められたことを明かした。

 「すごく優しいお母さんで、カットが終わるたびに『良かったね』と。1度だけ終わった時、抱き締めていただいた。すごくいい思い出。その姿を皆さんにお届けできないんですけど…本当にぜいたくな時間」

 山田監督も思い出し、「とっても甘いトロ~ンとした感じが漂っていてね。いいキャスティングというより母と子の物語にはこれしかなかった」と言った。

 吉永は、渡哲也と初共演した66年の映画「愛と死の記録」、81年のNHKドラマ「夢千代日記」で広島の原爆を描いた作品に出演し、原爆詩の朗読をライフワークにしている。戦後70年の今年、長崎の原爆をテーマにした映画の初出演を「感無量」と表現した。二宮は「戦争と被爆の思いに加え、日本全国にあった家族の日常も丁寧にやらせてもらった。伝わっていけばうれしい」。共演シーンを終えても、同じ思いで、築いた信頼と絆は続いていく。【村上幸将】

 ◆「母と暮せば」 長崎の助産婦、福原伸子(吉永)は夫を結核で亡くし、長男もビルマで戦死し、長崎医大生の次男浩二(二宮)と暮らしていた。1945年(昭20)8月9日に原爆が投下され、浩二は消息不明。捜し続けた伸子は3年目の墓参の時、浩二の恋人佐多町子(黒木)に、浩二を諦めると伝えた。その夜、自宅に浩二が現れ「ぼくは死んでるんだよ」と告げる。以降、時折現れる浩二と、伸子の関心事は、浩二を思って結婚しない町子の今後だった。