日本ツアーを開催中の英歌手ポール・マッカートニー(71)の日本愛を、ザ・ビートルズの秘書だったフリーダ・ケリーさん(68)が証言した。ビートルズと駆け抜けた青春の日々を題材にした米英合作映画「愛しのフリーダ」(ライアン・ホワイト監督、12月7日公開)のPRで来日中のフリーダさんは、日刊スポーツの取材に対応。ポールへのメッセージも口にした。

 フリーダさんは16歳の1961年から11年間、ビートルズと時代を駆け抜けた。リバプール市内のライブハウス「キャバーン・クラブ」での出会ったことをきっかけに秘書に就任。当時、ポールと一緒にいたところをパパラッチされ、結婚説が流れ、ポールがメディアを通じて否定したこともあった。秘書を辞めた後も、忠誠心から暴露本などの出版要請にも応じず、口外もしなかったが、孫に自身の青春を伝えたいとの思いから、「愛しのフリーダ」の企画を快諾。ポールと時を同じくして初めて来日した。

 -当時、71歳でも歌うポールを想像できたか

 「2歳上のリンゴ(スター)も頑張っている。ポールに出来ないことはないわ。でも、私が秘書になった頃、ジョージ(ハリソン)が『ビートルズは2年、続けばいいだろ』なんて言ってたのよ」

 -ポールはどんな人

 「ドラムもやっていたし、ピアノも弾けた。バンドを組まなくても、成功したいと思っていた人。絵も描くし、オペラも作る多才な人。音楽家じゃなくても、世の中で名を成していたと思うわ」

 -ポールは日本についてどう思っていたか

 「『すごく面白く、気に入った』と言っていたわ。日本から帰ってきたら、ジョージとオフィスに来て『日本人はすごく礼儀正しく、みんなお辞儀するんだけど握手しないんだよ』って口をそろえるの。覚えているのは、日本で靴が買いたいと言ったポールが、ホテルの周りをファンが囲んで出られないからって、靴屋さんがホテルに来て靴をはかせてくれたの。その写真を見たわ。ソロで来日した80年に大麻・不法所持で逮捕されても、また来日したのは、他の国よりもビートルズを尊敬する人が多い日本のファンに、応えたかったからだと思うわ」

 -今日21日の東京ドーム公演に行くそうですね。ポールにメッセージを

 「91年にリバプールに来た時、お茶を飲んだの。それ以来、話をしていないけど、またお茶を飲まない?

 ビスケット付きで」

 フリーダさんは、ポールとの22年ぶりの再会を心待ちにしている。【村上幸将】

 ◆フリーダ・ケリー

 1945年7月14日、アイルランド生まれ。幼少時に英リバプールに移住。61年、会社の昼休みに「キャバーン・クラブ」でビートルズの演奏を聴き、未体験の音楽性に感銘し追っかけを始める。その後、ビートルズとマネジメント契約を結んでいたブライアン・エプスタイン氏から秘書のオファーを受けて就任。ビートルズ解散後の72年まで11年間、ファンクラブ運営などに携わった。