日本を代表する撮影監督の木村大作監督(86)が1日、都内の東映本社で、18年の「散り椿」以来9年ぶり4本目の監督作「腹をくくって」(27年公開)の企画発表記者会見を開いた。
木村監督は、豪快かつ忌憚(きたん)のない語り口が映画業界では広く知られ、メディアでも時折、取り上げられてきた。この日も登壇するなり「1番、心配しているのは、ものすごい言葉が荒いんで、今の世の中では僕の言葉が炎上のきっかけになったりするもんですから、相当、慎重にしゃべろうかと思うんですが…。それじゃあ、面白くないんで所々、過激な発言が出るかも知れませんが」と口にした。その“つかみ”1つで、集まったメディア、映画関係者を笑わせた。
この日は、待望の新作を発表する会見ということもあり、これまでに輪をかけて“絶口調”だった。会見の中盤に差しかかったところで「普段の生活から、あるところにいっちゃってるのかな? 今、絶対、やっちゃいけない。パワハラ人生ですからね」と豪語すると、場内は爆笑の渦に包まれた。自ら「パワハラ」とはっきり言ってしまうと、コンプライアンスが厳しい昨今、眉をひそめる人もいるかも知れないが、続けて口にしたことこそ、木村監督の本質だろう。
「僕の良さは、各映画会社のトップとか大プロデューサーとか大俳優と(作品を一緒に)やっていますが、そっちも平気でパワハラかけます。それで(映画業界に)生き残ってるんですね、自分の思うままに」
「(『腹をくくって』の)台本の頭に、こういう文章が載っています。『映画に、自分の居場所があり、そこで生きている。それしか求めない日常を、こだわらず、恐れず、心のままに』と書いているんです。そういうことですよね」
その発言の通り、木村監督は相手の置かれた立場や肩書に関係なく、自らの思ったことを明快に、力強く語る。高校を卒業して、1958年(昭33)に東宝に入社してから積み重ねたキャリアは70年に迫ろうとしているが、年少者や映画との接点が薄い人に対しても、自ら目線を下げて気さくに接する。そんな同監督を知る業界関係者や映画担当記者は、監督のことを「大作さん」と呼ぶ。
記者も、その1人だ。確かに、大作さんの言葉は荒っぽいし、撮影現場等々で何度か、どやされてもいる。一方で、そもそも、映画業界の大御所の1人である大作さんに対し、もの申すこと自体、失礼千万だろうが、こちらとしても思うところがあり、反論すると聞く耳を持ってくれる。乱暴な言葉遣いの裏で、発するひと言、ひと言は血が通った温かいものであり、何より映画への愛があふれている。映画を愛するがあまり、熱くなって声が大きくなったり、荒っぽくなることを、皆、知っているのだ。
撮影現場では、スタッフの動きに目を光らせ、1つ1つの要求も厳しい。時に大きな声も飛び、現場取材をしているメディアの間にも緊張が走る。ただ、空模様が変わるなどで、少しでも撮影がストップすれば、その場で映画の基本を教えてくれたり、貴重なカメラを間近で見せてくれたり、名作の撮影中のエピソードを次々と披露してくれる。即席の“大作教室”で、どれだけ映画を教えてもらったか。そんな人だからこそ、皆、いつの間にか「大作さん」と呼ぶようになり、どれだけ厳しくしかられても、大作さんの姿を見れば「大作さん!」と話しかけに行く。
「腹をくくって」の企画発表記者会見の質疑応答で、3人目に質問すると、大作さんは「あぁ…もう、よく覚えていますよ。この人とは過去、いろいろと言い合っているんですよ」と口にした。確かに何度も言い合いはしているし、1度は激しいものになったこともあるから、苦笑いするしかなかったが、さらに「まだ(映画の現場で、記者として)生き残っているんだ!」と大きな声で言ってきた。同業他社の記者を含め、後方に並んでいたテレビ局のカメラの間からも笑い声が多数、聞こえてきた。その中「はい!」と返すと「俺も、生き残っているけど」と言い、笑った。
「腹をくくって」は富山、長野、京都、滋賀などで10月から12月までロケを行う予定で、7月生まれの大作さんは、撮影時には87歳になる。それでも「あと5年だと思ってますよ。でも、遺言のために作るんじゃない。体力は落ちましたよ…でも気力は増している。この映画が最後じゃないですよ。辞めていく時は、そっと辞めていく。あと2本はやりたい!!」と意欲を見せた。一方で「これだけの人(俳優)が集まるんですよ。なかなかのものだと思う。封切ってコケたりしたら…日本映画、終わりだよね。自分も終わりだと思っている」とまで言い切った。
会見後、大作さんと2人で話すと「これから、長丁場だけど頼むぞ。今日も、この後、新聞にも大きく書いてくれよ」と、応援を求められた。その場で「大作さん、とことん追いかけますから」と約束し、翌2日付の本紙芸能面ではメーンで大きく掲載された。
大作さんに約束した通り、作品のこと、俳優陣をはじめ、今後の動きは徹底的に追いかけていくが、伝えたいのは、それだけではない。言葉は荒っぽく一見、怖そうに見えるかも知れないけれど、どこまでも映画に熱く、人に温かく、優しい大作さんのこと、大作さんの言葉そのもの、その裏にある本質を、1人でも多くの人に伝えたい。昭和の映画人…何より、昭和の男の、本物の温かさを…。【村上幸将】
◆木村大作(きむら・だいさく)1939年(昭14)7月13日、東京都生まれ。都立蔵前工業高を卒業し58年に東宝に入社。撮影部に撮影助手として配属される。62年「椿三十郎」など黒沢監督の下で映画作りを学び、73年「野獣狩り」(須川栄三監督監督)で撮影監督デビュー。77年「八甲田山」で日本アカデミー賞優秀技術賞、09年の初監督作品「劒岳 点の記」では同最優秀監督賞。代表作は、81年「駅 STATION」(降旗康男監督)など多数。03年に紫綬褒章、10年には旭日小綬章を受章。「腹をくくって」は、14年「春を背負って」を含めると監督第4作となる。20年には撮影監督の分野では初の文化功労者に選ばれた。



