リオデジャネイロ五輪サッカー日本代表の戦いが、幕を閉じた。地球の裏側からテレビを通して見守るだけだったけど、初戦に負けてもずるずると引きずらず、コロンビアに引き分け、スウェーデンに勝って、チームを立て直した日本の姿は、見ていてたくましさを感じた。攻撃のときの躍動感は、守備から入ったアジア予選とは違った顔に映っただけに、もっと見たかったチームが、解散することは寂しさもある。

 しかし今大会、どの競技にもキーワードに挙げられる「東京五輪」。4年後に向けた戦いはすでに始まっている。サッカー界では、もっとも象徴的なことがあった。リオ五輪開幕直前、中学3年生ながら飛び級で東京U-18に所属するFW久保建英(15)が、日本クラブユース選手権で優勝&得点王に輝いた。高校トップクラスの舞台で、大会5得点で個人タイトルを獲得する偉業が、サッカー界をにぎわせた。

 8月4日に味の素フィールド西が丘サッカー場で行われた清水ユースとの決勝戦。後半17分から途中出場し、見せ場は2度あった。1度は縦へドリブル。2度目は終了間際にペナルティーエリアの外から中へ切れ込んで右足ミドルシュートを放ったシーンだ。いずれも、独特のボールタッチから繰り出される鋭いドリブルで、相手DFを寄せつけなかった。

 12年前だった。同じ西が丘で、中大で司令塔だったMF中村憲剛(川崎F)と対峙したことがあった。あのとき「絶対にこの人からボールを奪えない」と感じた感覚を今も忘れない。久保を前にしたDFも実感したように見えた。それくらいわずかな時間で異質を放っていた。

 自分だけじゃなくて観戦にきていた、選手たちのお母さんや子どもからも、自然と大きな歓声が湧き上がってきた。あるクラブ関係者が「モノが違う」と驚くのも、当然。スペイン・バルセロナの下部組織から昨年5月に加入。その話題性だけでなく、1プレーで老若男女問わず、見る者を引き付けた。試合後、飛び級での日々について聞かれた久保が答えた。

 「(東京U-18には)自分よりうまい選手がたくさんいる。年上の日本一のチームで日々プレーできていることは、恵まれすぎるくらい恵まれている。その中で自分の良さを出すときは出して、吸収できるものは吸収して、日々勉強になっています」

 東京五輪のときは19歳。出場となれば、これもまた飛び級だ。そのときプレーしているのは地元・J1東京なのか、それともバルセロナ…? 48年ぶりのメダルはかなわなかった日本の夢は、4年後に託される。【栗田成芳】

 ◆栗田成芳(くりた・しげよし)1981年(昭56)12月24日生まれ。サッカーは熱田高-筑波大を経て、04年ドイツへ行き4部リーグでプレー。07年入社後、スポーツ部に配属。静岡支局を経てスポーツ部に帰任。14年W杯ブラジル大会取材時は、リオデジャネイロまでたどり着けず。今回の五輪もテレビ観戦。