06年にJ1、翌07年にはアジア・チャンピオンズリーグを初制覇した浦和は08年から低迷期に入った。11年までの4年間で4度も監督を代え、長谷部や闘莉王ら主力も次々と抜けた。浦和一筋で20年プレーしたOBで元日本代表の山田暢久氏は「監督によってサッカーが変わり、レッズ自体がどういうサッカーをやりたいかというコンセプトを持っていなかった」と、一貫性のなさが不振を招いた一因だったと指摘する。
J2降格の危機にひんした11年のシーズン終盤に就任した山道強化本部長は「急いで立て直すには一流の監督、一流の選手に来てもらうしか突貫工事はできないと思った」と振り返る。元日本代表監督の岡田武史氏、当時はG大阪を率い、現在は名古屋監督を務める西野朗氏には就任を断られたが、広島で実績を残していたペトロビッチ監督を招聘(しょうへい)。さらに欧州でプレーしていた阿部と槙野を獲得した。
翌年以降は国内のライバルクラブから興梠、GK西川ら次々と有力選手を補強。12年以降に集めた顔触れを中心にチームは再生した。




