93年のJリーグ開幕から23年間J1を死守してきた清水が初めてJ2に降格する。ホームで仙台に敗れ、3試合を残して年間16位以下が確定した。10年オフの主力の大量放出を機に低迷の一途をたどり、11年以降は明確なビジョンのない選手編成を続けて崩壊。サッカーどころで有名な清水市(現静岡市)で産声を上げ、G大阪の長谷川監督ら多くの日本代表を輩出した名門が、ついに陥落した。

 あまりにもあっけない結末だった。前半4分に右CKから失点し、反撃もできず力尽きた。試合終了から約4時間半後-。新潟の結果で降格が決定。誰もいないホームのアイスタは静まり返り、選手は自宅で最悪の結末を迎えた。4連敗で就任から9戦未勝利の田坂和昭監督(44)は「力がなかっただけ」と現実を受け止めた。

 93年の開幕からJ1の舞台で走り続けてきたチームの低迷は、10年のオフから始まった。6年間指揮を執った長谷川監督(現G大阪)の退任が決まると、功労者の元日本代表MF伊東とDF市川に戦力外が通告された。この決断に選手はフロントへの不信感を募らせた。日本代表FW岡崎ら主力も移籍し、この年だけで14人がチームを去った。11年は若返りを図るゴトビ監督と選手との確執が表面化し、MF小野、FW高原らベテランも退団した。

 今季、開幕前にある選手が漏らした言葉が全てを物語る。「目指している方向性が分からない」。育成型クラブの方針を打ち出しながら、生え抜きや代表クラスの選手を放出し、若手も伸び悩む悪循環が続いた。その場しのぎの補強を続けたチームは、ただの「寄せ集め」だった。

 試合後、左伴繁雄社長(59)は「来年も強化費(約13億円)は下げない」と明言。今後は主力選手の慰留に全力を注ぐが、来季のビジョンは不透明だ。田坂監督も「進退は会社が決める」と去就について明言を避けた。ただ、誰も責任を取ろうとしない体制に不信感を抱く選手は多く、このままなら大量流出は避けられそうにない。

 サッカーが盛んな街で産声を上げ、W杯日本代表7人を輩出してきた名門の歴史はここ5年で崩れ落ちた。今季は31試合で4勝。抜本的な体質転換を図らない限り、J1復帰どころか、クラブの未来は見えてこない。【神谷亮磨】

 ◆オリジナル10 清水が初のJ2降格。93年のJリーグ創設時から参加の鹿島、浦和、市原(現千葉)、V川崎(現東京V)、横浜M(現横浜)、横浜F(99年に横浜Mと合併消滅)、清水、名古屋、G大阪、広島の10チームのうち降格を経験したのは今回の清水が6チーム目。消滅した横浜Fを除いてJ2降格の経験がないのは鹿島、横浜、名古屋の3チームとなった。