ヤマハ発動機がサントリーに勝ち、初優勝を果たした。就任4年目の清宮克幸監督(47)が作り上げたセットプレーで主導権を握る「ヤマハスタイル」を貫き、堅い守りでノートライに抑え込んだ。かつて早大を大学選手権優勝に導いた名将は体づくりにもこだわり、チームを日本一に導いた。

 清宮監督は表彰式でぐっと腕を組み、どうだと言わんばかりの笑顔を見せた。「特に守備。スクラムもラインアウトも素晴らしかった」。準決勝から2試合続けてノートライに抑えた守りをたたえた。後半は自陣に攻め込まれてもスクラムで押し返し、相手SHの反則を誘う場面もあった。セットプレーで試合を制圧するヤマハスタイルは最後まで揺らがなかった。

 清宮監督は現役時代、サントリーの主将を務め、07年度から3年間は監督を任された。ヤマハ発動機の監督に就任以来、トップリーグで唯一白星がない相手でもあった。セットプレー重視の戦い方は「サントリーで、攻撃も守備も自分たちの形を作って貫けないと、勝ち続けられないと学んだ」という経験から生まれた。「育ててくれたチームに勝って恩返しができた」と感慨深げに言った。サントリーには日本代表プロップ畠山ら教え子がいる。「清宮さんのチームに負けたなら仕方ない、と思ってるんじゃないですか」と、冗談交じりに胸を張った。

 4年間で王者に育てた。11位に沈んで入れ替え戦を戦っていた時に就任し「今の1・5倍は走らせていた」と大塚コーチは明かす。一から体を作り直すため、就任直後はただ30分間ひたすら走らせるなど高校生のような練習から始めた。同時に下半身強化のためレスリングを続けた。今季は筋肉を強くする働きを持つ男性ホルモンを多く含むブロッコリーもたくさん食べさせた。三村主将が「一番の武器はスクラム」と話す、膝が地面から2センチしか浮かないスクラムは、4年にわたる積み重ねの結集だ。

 来季からも姿勢は変わらない。「ヤマハらしい1年1年をこれからも過ごす。そこで得た財産が積み上がっていく。まだまだこれからのチームです」。強い清宮ヤマハは、まだ始まったばかりだ。【岡崎悠利】

 ◆清宮克幸(きよみや・かつゆき)1967年(昭42)生まれ。大阪市出身。現役時代のポジションはフランカー、NO8。府立茨田高でラグビーを始める。早大2年で日本選手権優勝、4年は主将として大学選手権優勝。卒業後はサントリーで95年度に日本選手権優勝。01年に早大監督に就任し、3度の大学選手権優勝に導く。06年度からはサントリーを率いて、07年度にはマイクロソフト杯で優勝した。11年度シーズンよりヤマハ発動機監督。家族は妻と2男。

 ◆ヤマハ発動機 82年にヤマハラグビー同好会を結成。03年度シーズンから「ヤマハ発動機」としてトップリーグに参入した。05年に「ヤマハ発動機ジュビロ」と名称を変えた。10年度に経営不振により規模を縮小し、プロを廃止。主なOBは村田亙。所在地は静岡県磐田市新貝2500番地。