サーフィンが東京五輪の目玉になる!? 20年東京五輪・パラリンピック組織委員会は22日、都内で種目追加検討会議を開き、開催都市として提案する追加種目の最終候補8競技を発表。野球・ソフトボール、空手などこれまで候補とされてきた競技にまじって、サーフィンが残った。誰もが知るスポーツながら、これまで五輪とは無縁。若者人気の波に乗り、一気に東京五輪での採用を目指す。

 東京・文京区、雑居ビルの4階にある日本サーフィン連盟(NSA)は、昼から鳴りやまない電話の対応に追われた。最終候補のうち野球・ソフトボールや空手など6競技は、13年に20年大会からの採用をレスリングと争った有力競技。ボウリングもアピールを続けていた。そこに、突然サーフィンが割って入ったのだ。

 この日、10時30分からの検討会議では、国際的な普及度、競技人口などに加え「若者への人気」も重視された。会議後に行われた発表会見、資料には予想された競技に並び「国際サーフィン連盟」の文字。報道陣からも驚きの声がもれた。

 署名活動やイベントなどでアピールしてきた他の7候補と違って、五輪に関して国内での注目度は低かった。しかし、NSAの酒井厚志理事長(56)は「国際サーフィン連盟(ISA)から1次選考は通ると言われていた」と明かした。

 実は、数年前からISAアギーレ会長らが国際オリンピック委員会(IOC)へのロビー活動を展開。冬季五輪でのスノーボードが観客動員やテレビ視聴率で成功するなど「横乗り系スポーツ」へのIOCの注目度を背景に、自信を深めていたという。「ISAとIOCが直接交渉していた。NSAは特に動いていませんでした」と酒井理事長。関係者にとっては、決して突然ではなかった。

 ISA主導だけに、競技会場などは未定。酒井理事長は「房総や湘南、伊豆など首都圏近郊で競技ができる海は多い」と言う。海の競技だけに、東日本大震災の復興支援も積極的。日本の海を舞台に競技が行われれば、世界に復興を示す場にもなる。また、人工波を作る「ウエーブプール」での競技も「条件次第で可能性はある」と話した。

 今後も国内での派手な活動予定はないが、8月25~30日の全日本選手権(千葉)は「するスポーツだけでなく、見るスポーツとしても注目してもらえれば」と酒井理事長。NSA創立50周年記念として約1000人が出場するビッグイベントが、東京五輪への「決起集会」になりそうだ。

 野球・ソフトボール、空手が有力であることは間違いない。組織委の森会長もこの2競技に関しては度々採用をほのめかしている。ただ、ここに来て「若者」という言葉が繰り返されているのも確か。組織委はIOCに提案する競技の数は明言しておらず、サプライズの可能性もゼロではない。五輪にサーフィン-。夢のような話が、もしかしたら現実になるかもしれない。

 ◆サーフィン競技 採点競技で技の難度や波に乗る美しさなどを競う。1ヒート15~20分で、4~5選手が1度に海に入って争う。一般的に8本まで波に乗ることができ、高得点の2本の合計が得点となる。通常の大会では各ヒート上位2人が次のラウンドに進出し、予選1回戦から同2回戦、準々決勝、準決勝、決勝と進む。ボード種類や年齢などでカテゴリーが分かれる。

 ◆サーフィン人口 NSAによると、世界での競技人口は3000万~4000万人、日本では約200万人という。NSAの登録選手数は約1万3000人で、各大会の成績による強化指定選手がいる。男子の新井洋人、大野修聖、大橋海人、女子の大村奈央、鈴木姫七らがA指定されている。世界では北米、南米、オーストラリアに強豪がそろう。日本はジュニア世代が世界トップに迫っている。

<サーフィンの歴史>

 ◆発祥 発明したのはハワイやタヒチに住んでいた古代ポリネシアの人々。時期は400年頃と推定。

 ◆禁止令 欧州人で初めてサーフィンを目撃したのは英国人の探検家クック。その後は欧州の宣教師が布教の妨げになると禁止に。

 ◆復活 20世紀初頭のハワイで復活。観光地化に伴い、ライフガード的組織が必要に。中心となったカハナモク家の長男が「近代サーフィンの父」と呼ばれるデューク・カハナモク。競泳選手としても1912年ストックホルム五輪の100メートル自由形で世界新記録。

 ◆近代化 カハナモクが各地で普及。米国、オーストラリアなどでクラブができるなど急速に発展した。

 ◆日本では 60年頃に米国人が湘南や千葉でサーフィンしているのを地元の少年たちが模倣し、自作の「フロート」と呼ばれたボードで始めたのが最初といわれる。65年にその青年らが日本サーフィン連盟を発足。翌年には第1回の全日本選手権が開かれ、99人が参加。64年に日刊スポーツが「波乗り 日本第1号」の見出しで俳優の加山雄三を紹介。