シニア転向1年目の女子の三原舞依(17=神戸ポートアイランドク)が、劇的な初出場優勝を果たした。フリーで134・34点をマークし、自身初の200点超えとなる合計200・85点でショートプログラム4位から逆転した。日本女子の初出場Vは08年浅田真央以来。関節が痛む病気で約1年2カ月前は病院のベッドの上にいたが、来年の平昌五輪出場3枠が懸かる世界選手権(3月29日開幕、ヘルシンキ)へ希望の星になった。今日19日は男子フリーが行われる。

 17歳の三原が1年後の五輪会場でセンターポールに日の丸をあげた。SP4位からの逆転優勝。「自分がこの位置なのが、信じられない」。表彰台でバンクーバー金メダリスト金妍児氏から花束と祝福の言葉をもらっても上の空だった。君が代を歌い、じわじわと実感がこみ上げる。「日本のために私ができることができたかな」。昨年女王のエース宮原が欠場する中、10年連続の日本女子の表彰台を守った。

 初出場とは思えない、堂々の演技をみせた。冒頭のルッツ-トーループの連続3回転ジャンプを見事に決めると、すべての要素を軽やかに柔らかく、最後までつないだ。ノーミスのうれしさから演技後は両手を胸にあて、クルクルと回った。さらに200・85点の数字を見ると「キャー!」と絶叫。「夢のようです」。日本人では浅田、安藤、宮原に続く4人目の合計200点超えとなった。

 一昨年12月に関節が痛む病気を発症した。今でも2種類2錠ずつの薬を1週間に2度飲まなければならず、その度に眠気とだるさに襲われる。月に1度、2時間の点滴を打つなど一日中病院で過ごす日もあり、冬場は関節がこわばりやすくなる。それでも「負けたくない」。防寒の下着を着込み、ウオームアップを入念に行うなど病と向き合いながら練習を積んでいる。

 1年前の今ごろは、歩くのがやっとだった。だからこそ、滑ること自体を「幸せ」と思える。フリーの演目「シンデレラ」は中野コーチが復帰のシーズンをハッピーエンドにできるように、と選んでくれた曲だった。

 五輪の出場枠取りがかかる世界選手権ではさらに激しい戦いが待つ。「まだ、スケーティングも表現もトップ選手と差がある。あと1カ月磨いていきたい」と気を引き締めた。「五輪に出られる選手になって、ここに帰ってきたい」。シンデレラストーリーはまだ続く。【高場泉穂】

 ◆三原舞依(みはら・まい)1999年(平11)8月22日、神戸市生まれ。8歳で浅田真央に憧れ、スケートを始める。15年12月のジュニアGPファイナルで6位に入ったが、その後に関節が痛む「若年性特発性関節炎」を発症。車いす生活を乗り越え、16年全日本選手権3位、今年3月の世界選手権代表。兵庫県立芦屋高2年。趣味は音楽鑑賞。154センチ。