第45代横綱初代若乃花で元二子山親方の花田勝治(はなだ・かつじ)氏が1日午後5時25分、腎細胞がんのため、東京・慶大病院で死去した。82歳だった。

 かつての二子山部屋だった東京・杉並区の花田さんの自宅には、弟子が次々と集まり、大きな悲しみに包まれた。早くから駆け付けた松ケ根親方(元大関若嶋津)、鳴戸親方(元横綱隆の里)は、涙こそ見せなかったが、険しい表情で病院から搬送された遺体を自宅に運び入れた。つえをついて訪れた間垣親方(元横綱2代目若乃花)は「42年前に中学校の職員室に(花田さんが)来てくれたのを思い出した。厳しい、とにかく厳しい方だった」と、入門当初の思い出を語った。

 弟子ではないが、同じ杉並区に部屋を構える放駒理事長(元大関魁傑)も駆け付けた。約40分の滞在で花田さんに別れを告げ「本当に安らかな顔だった」と、しみじみと話した。おいの元横綱3代目若乃花の花田勝さんは、近くで車を降りると文字通りダッシュで花田さんの自宅に飛び込んだ。ほかにも花籠親方(元関脇太寿山)、常盤山親方(元小結隆三杉)、高田川親方(元関脇安芸乃島)、元力士でタレントの龍虎らが弔問に訪れた。

 花田さんの人柄を示すように、午後9時過ぎからは近隣住民が玄関先に花束を置いて手を合わせる場面もあった。間垣親方は「最後に会ったのは2年ぐらい前の正月。『協会のために頑張れよ』と言われ、うれしかった。(遺体に)『協会のために頑張ります』と言いました」と、かみしめるように話して引き揚げた。