石岡一(茨城)・岩本大地投手は右膝をつき、ガックリ肩を落とした。19年の第91回選抜大会。21世紀枠で選ばれた同校は1回戦で盛岡大付(岩手)に惜敗した。造園科で学ぶ最速147キロ右腕が、強力打線から11奪三振の力投。2失点に抑え、延長戦へ入る。11回裏に1死満塁を招くも、続く打者に投ゴロを打たせた。だが、併殺と思われた直後「指にかかりすぎました」と本塁送球を引っかけた。ボールは捕手・中山のミットをかすめ、後方へ転々。サヨナラ負けした。


幕切ればかり印象に残るが、実は、ターニングポイントは別にあった。2-0で迎えた9回だ。2死二、三塁とされたが、6番小川をカウント1-2と追い込んだ。あと1球で勝利だったが、内を狙った140キロ直球が甘く入り、土壇場で右前に同点打を許した。「あと1歩でした…」。勝負の分かれ目だった。

右打ちの小川に対し、初球から3つ、外に逃げる変化球を続けた。ボール、空振り、空振り。空振りは、いずれも全くタイミングが合っていなかった。最後だけ内を狙った意図を問われ「一本調子にならないようにと。外のボールで追い込み、内で詰まらせようと思いました」と答えた。

配球は結果論の部分もある。内に直球を投げ切れていれば、打ち取れた可能性は高かっただろう。それでも、外への変化球を続けていた方が安全だったと思う。カウントに余裕があり、ボール球で良かった。また、小川は変化球に合っていなかっただけでなく、5回には143キロ直球を二塁打にしている。速い球を積極的に振ってきていた。岩本自身「終盤、ストレートが落ちていたので、かわす変化球だったら、結果は変わっていたかも」と悔やむ1球だった。

19年3月、盛岡大付戦の延長11回裏1死満塁、本塁に悪送球し、サヨナラ負けを喫してがっくり肩を落とす石岡一・岩本大地(右手前)
19年3月、盛岡大付戦の延長11回裏1死満塁、本塁に悪送球し、サヨナラ負けを喫してがっくり肩を落とす石岡一・岩本大地(右手前)

一方で、取材していた者としては、こうも思う。勝負どころに直球で挑む気持ちは投手として必要な資質だと。確かに、結果として同点打を打たれ、サヨナラ負けにつながった。だが、自分の武器を信じられなければ強い相手には勝てない。直球勝負は、普通の公立校へ進み、強豪私学を倒して甲子園という道を選んだ岩本らしかった、とまで書くのは大げさだろうか。試合後、右腕は「直球は良くも、悪くもなかったです。スタミナがないのが課題」と現実を受け止めていた。

甲子園に戻ることを誓ったが、夏は茨城大会準々決勝で涙をのんだ。スカウトにも注目されていたが、プロ志望届は出さず、中大進学。入寮の際「夏、勝ち上がれませんでした。プロに行くには力が及ばない。東都は強いリーグ。4年間、頑張ってからプロに行きたい」と決意を口にした。

甲子園での経験を、どう捉えているのか。「全国のレベルが分かりました。甲子園の経験があったからこそ、モチベーションが高まりました。まだ全国では通用しないと感じながら、練習してきました」と言った。大舞台での苦い経験を糧にしている。【古川真弥】