<ヤクルト2-1阪神>◇2015年(平27)10月2日◇神宮

グラウンド整備の時間を利用して半地下の記者席を駆け上がり、三塁側の喫煙所へ一服に向かった。コンコースに出ると、1人の女性が目に留まった。

15年10月、優勝を飾りうれし泣きするヤクルト真中満監督(中央)
15年10月、優勝を飾りうれし泣きするヤクルト真中満監督(中央)

柱に隠れるように、テレビモニター画面を見つめていた。心配そうな目で、時折、両手を握りながら。グッと握ったせいか、か細い手は血管が浮き出ていた。「お疲れさまです」と声を掛けた。ヤクルト真中監督の美奈夫人だった。「早く決まってほしいですね」。手にはぎゅっと握られたハンカチ。試合は延長に突入していた。

当時、私は入社3年目。1人で初めて担当した球団が、優勝…夢にも思っていなかった。右も左も分からない中で、夏の終わりごろから監督宅へ通う日々が始まった。ベルギーワッフルを手土産にインターホンを押すと、夫人はいつも「お疲れさま」と笑顔で出迎えてくれた。そして、決まって栄養ドリンク2本を渡してくれた。「こちらがお邪魔させてもらっているのに」と言うと「暑いのに大変でしょ」と笑ってくれた。

神宮での試合日は、可能な限り通った。真中監督は渋々ながら、いつも快く迎え入れてくれた。ある日、監督へ「すみません。めちゃくちゃなお願いですけど“いい話”をよろしくお願いします」と頭を下げた。

「そんなのないよ」と言いながらも、夫人と一緒に考えてくれた。夫人が「あれがいいんじゃない」と言い、真中監督は「こっち来い」と庭へ案内してくれた。現役を引退した08年に植えた1本のキンモクセイ。7年間で1度も咲いたことはなかったが、監督就任1年目のこの年に咲いた。2人はそろって「うまく写真撮って」と笑っていた。

延長11回、雄平のサヨナラ適時打で14年ぶりの劇的な優勝を飾った。夫人は持っていたハンカチで何度も、何度も目を拭った。「本当に良かった。良かったですね」と目を赤くした。真中監督は「うちの奥さんは、常に前向き。9連敗の時も『就任1年目から、いい経験している。なかなかできないことなんだから』と支えてくれた。本当にありがたい存在だよ」と感謝の言葉を口にした。

15年9月、ヤクルト真中満監督の家に、初めて咲いたキンモクセイ
15年9月、ヤクルト真中満監督の家に、初めて咲いたキンモクセイ

一夜明けた朝。あのキンモクセイの写真が載った新聞を監督宅へ持って行った。夫人はいつもと変わらず、笑顔で迎えてくれた。「わざわざありがとう」。真中監督は「うちは日刊取っているからいいよ」と笑った。心優しき夫人、新人記者の失礼を受け止めてくれた寛大な真中監督。記者8年目となった今も、その温かさを思い出す。ベルギーワッフルと栄養ドリンクを目にするたびに、キンモクセイの香りに触れるたびに。【栗田尚樹】