横浜スタジアムにかける男-。幼少期の遊び場、青春時代を寄り添い、職場として汗も涙も流してきた。今夏、東京五輪の野球、ソフトボールのメイン球場を「ハマスタ物語」として2回連載で深掘りする。横浜生まれ、横浜育ちの重田克巳取締役業務担当(56)の“俺のハマスタ”を紹介する。【取材・為田聡史】

横浜スタジアム重田克巳取締役業務担当
横浜スタジアム重田克巳取締役業務担当

18歳の春。重田は開場から6シーズン目を迎えた横浜スタジアムで職に就いた。ハマスタ一筋39年。大洋、横浜、DeNAの“3世代”を見守ってきた。78年に国内初の多目的スタジアムとして開場。日常的なプロ野球とともに鮮明に残っているのはサッカー、Jリーグ創成記の記憶だ。

「野球場なのにJリーグのプレシーズンマッチをやったんです。すごい大変な思いをしたけど、やって良かったなと、今でも思います」。94年に同スタジアムで初めてプロサッカーの試合を開催した。横浜フリューゲルスが南米の強豪パルメイラスを迎えた。「人工芝の上に天然芝を敷いたんですよ。開催の2年ぐらい前から計画してね」。

神奈川・秦野市内の山中に約1万平方メートルの圃場(ほじょう)を借りて天然芝を育てた。「私は天然芝も担当していたので、毎週木曜日にビデオカメラを持って行くのが仕事で。生育状況を見たりしながらね」。試合前日、4メートル×8メートルにカットした芝ピースを大型トラック150台で搬入した。サッカーコート1面分を手作業で敷き詰めた。「球場の人間が言っちゃいけないけど、サッカーの試合の結果はどうでもよかった。選手がけがをせず、お客さんが無事に楽しんで帰ってくれればいい」。ピッチサイドから祈る思いで見渡した。

横浜スタジアムのコンコースに掲げられるルー・ゲーリッグ(右)とベーブ・ルースのレリーフ
横浜スタジアムのコンコースに掲げられるルー・ゲーリッグ(右)とベーブ・ルースのレリーフ

野球の神様も両翼スタンドから見守っている。34年、前身の横浜公園野球場に米大リーグ選抜としてベーブ・ルースとルー・ゲーリッグらが来日。ルースは同球場で2本塁打を放った。この2人の偉業と日米プロ野球の歩みが、スタンドにメモリアルレリーフとして記されている。「数年前、スタンド改修時にコンコースに移設されそうになったから『絶対にダメだ』と反対した。野球の神様はずっとスタンドで見守ってくれているんだから」。両面だったレリーフの半面はコンコースに設置されている。もう半面は、今もルースが左翼、ゲーリッグが右翼からスタジアムを見渡している。

横浜スタジアムの右翼席上段にあるルー・ゲーリッグのレリーフ
横浜スタジアムの右翼席上段にあるルー・ゲーリッグのレリーフ

横浜の街に少々見放された時期もあった。空席が目立つ殺風景なスタンドもまた、いとおしい。横浜に愛され、ともに歩んできた。熱戦を、思い出の大会を、スポーツを、支え続ける球場職員としてのやりがいは「球場に1歩踏み入って『わーっ!』って言ってくれたり、本当に楽しんで野球をやってくれるアマの人たちの表情を見た時って、プロ野球にも負けないぐらい、私の意識として、管理課として、うれしいシーンだったりしますね」と穏やかに笑った。

横浜スタジアムは今年で43回目の夏を迎える。名物みかん氷が似合う、特別な夏がやってくる。(敬称略)