ロッテ佐々木朗希投手(19)が希代の快速球を投げ、岩手・大船渡高で仲間たちと甲子園を目指した最後の夏から、2年が過ぎた。震災と「あの夏」を越え、故郷を巣立った彼らは今、何を思うか。当時のチームメート5人を訪ねた。

      ◇    ◇    ◇

大船渡高OBの駿河台大・和田吟太さん
大船渡高OBの駿河台大・和田吟太さん

ZOZOマリン2階席の最上段で和田吟太さん(20)は高揚した。上京以来、心待ちにした瞬間。マウンドに向かう友へ万雷の拍手が送られた。「朗希がファンの皆さんに愛されてるなって」。自分のことのように幸せを感じた。

埼玉・飯能の駿河台大野球部でプレーする。「デビュー戦だけは絶対に、どうしても見たくて」と、5月16日は部活を休ませてもらった。一緒に遊ぶことも多い友は、投手として最大のライバルでもある。

一緒に甲子園に行けると信じていた。しかし3年夏の岩手大会決勝、エースである友に登板機会はなかった。故障するリスクが高いと判断した監督が、悩み抜いた末に決めた。背番号10の和田さんも試合途中にブルペンで準備したが、登板はないまま敗れた。

穏やかで心優しい。「投げた仲間のことを悪く言う意味では絶対にないですから」と丁寧に前置きし、当時の心境を明かした。「これで高校野球が終わっちゃうの? って」

全員で努力した。全員で花巻東と戦いたい。朗希が投げるなら全力でサポートしたかったし、投げられない状況なら自分が投げたい-。背番号10の意地でもあった。ただ、あの日はなぜかそれを言葉にできず、深い後悔につながった。

「自分のせいなのかなって。試合途中でも、監督に『投げたいです』って言えなかったのが、一番の悔いです。友達にも家族にもずっと言えなくて…自分1人で、俺のせいだなって。今もたまに考えます」

実際に練習試合で監督に志願し、連投を許可してもらったこともあった。

「あの決勝も、自分が投げたいって言っていたら、もしかしたら何かが変わったんじゃないかって」

グラブは置くつもりで夏を過ごしていた。でも「投げたい」と言えなかった自分が許せなくなって、自分を変えたくて、大学野球にトライしている。

「野球を続ける以上、朗希を追います。朗希がどれだけ上に行っても、追えるところまで追います」

肩の痛みも癒え、ここから盛り返す。(つづく)

【金子真仁】