全国高校野球選手権は沖縄尚学の初優勝で幕を閉じた。酷暑の甲子園で球児を追いかけた担当記者が、書き残したエピソードを紹介する。
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春のセンバツを上回る姿がそこにあった。山梨学院の“投打二刀流”の菰田陽生投手(2年)にとって2度目の甲子園は、同校初の夏4強で幕を閉じた。
ドジャース大谷翔平に憧れる大器。チーム最多タイの6打点を挙げ、打率4割6分7厘、投げては初戦の聖光学院(福島)戦で6回まで無安打無失点投球。この快投を皮切りに4試合連続先発を務め、150キロの直球も見せた。防御率は1・62で、躍進の大きな原動力となった。吉田洸二監督(56)に「ベスト4まで来れたのは、菰田の『確変』のおかげ」と言わしめた。
194センチ、100キロは身長、体重ともに出場全49校でダントツだった。吉田監督は「プロレス団体からも声がかかっていますから」と具体的な団体名は明言を避けたが、プロレス界のレジェンド武藤敬司氏(62)も熱い視線を送っていた。
武藤氏は学校関係者を介して、自身の大ファンという梅村団主将(3年)にサイン色紙を贈った。そのことがきっかけで、山梨学院の活躍に注目を寄せてきた。山梨・富士吉田市出身の武藤氏も、地元から甲子園を沸かす逸材が出たことを歓迎。「(菰田を)勧誘したくなるくらいですね」と興味津々だった。
生まれた時から規格外だった。菰田の母理恵さんによると、3000グラム程度で生まれる予定が、ふたを開けてみれば4600グラム。すくすくと育ち、着る服がないと困るほどだった。1食で米2、3合をペロリと平らげるほど食も太く、今や足のサイズは32センチ、服のサイズは5、6Lに到達。「まずは着られるものを探すのが大変ですから」と母も苦笑いを浮かべるほど、すさまじい成長を遂げた。
気は優しくて力持ち-。清峰(長崎)時代にセンバツ優勝を誇る吉田監督が「必ずや日本球界の宝になる」「ダイヤの原石」と大きな期待を寄せてきたが、当の本人は偉ぶる様子は一切ない。
山梨大会を勝ち上がってからも常に「3年生とできるだけ長くやりたい」と言い続けた。球速や本塁打へのこだわりなどは胸にしまい、フォア・ザ・チームを貫く。献身的な姿勢に、指揮官は「菰田は性格がいいんですよ。謙虚に聞く耳を持ってるし。あいつと野球をやるのが楽しい」と声を弾ませた。
準決勝の沖縄尚学戦は右肘に違和感が生じ、無念の1回1失点でマウンドを降りた。決勝進出を逃して涙し「ピッチング面でもバッティング面でも課題が出た。3年生の分の借りを返したい」と誓った。右肘の診断は幸い軽度の筋損傷で、1週間ノースローとなった。秋の山梨大会中には復帰できる見込みだ。
新チームでは主将に抜てきされた。吉田監督は「一番キャプテンにふさわしい。あいつの欠点は変化球を投げられないところだけ」とジョークを飛ばしながら「最後の1年でグラウンド内外でリーダーシップを発揮してほしいね」と期待した。
今夏の甲子園を沸かせた菰田劇場はここからが本番だ。「高3の夏に160キロ」と語っていた男が、最後1年で何を見せてくれるか。エンドロールが待ちきれない。【平山連】






